大学群「大東亜帝国」のひとつ、国士舘大学。そんな同大の近年のイメージ変化について、教育ジャーナリストの中山まち子さんが解説します。
格闘技系スポーツに強いイメージ
東京オリンピックはさまざまな混乱があったものの、7月23日(金)に開幕しました。都内の会場では無観客の実施が決定し、自宅でのテレビ観戦を通じて代表選手に声援を送っている人も多いことでしょう。
オリンピックの代表選手のなかには、学生も珍しくありません。今大会からの新競技である、スケートボードの女子ストリートで金メダルに輝いた西矢椛(もみじ)選手は中学2年生、銅メダルを獲得した中山楓奈(ふうな)選手は高校1年生と、若い世代の活躍は大きな話題を呼びました。
とはいえ、全体的にオリンピック選手といえば大学生や社会人が多く、「この競技はこの大学が強い」「この大学はスポーツに強い」というイメージが広く浸透しています。
こうしたスポーツ強豪校のひとつに上げられるのが、国士舘大学(世田谷区世田谷)です。数々の卒業生がこれまでの大会で華々しい成績を上げ、2度のオリンピック金メダルを獲得し、代表監督も務めた柔道の斉藤仁さんも同大学の卒業生です。
元々、国士舘大学は創立者である柴田徳次郎が1917(大正6)年に立ち上げた私塾を起源としています。柴田は1929(昭和4)年に国士舘専門学校を設置した際、国漢剣道科、柔道科などを開設。スポーツに強いのは、武道の教員育成を目的とした専門学校としての歴史を持っているからです。
7学部14学科の総合大学へ
戦後の混乱期の校名変更などを経て、体育学部体育学科の単科大学として国士舘大学は1958(昭和33)年に誕生し、現在に至ります。
現在は、
●政経学部
・政治行政学科
・経済学科
●体育学部
・体育学科
・武道学科
・スポーツ医科学科
・こどもスポーツ教育学科
●理工学部
・理工学科
●法学部
・法律学科
・現代ビジネス法学科
●文学部
・教育学科
・史学地理学科
・文学科
●21世紀アジア学部
・21世紀アジア学科
●経営学部
・経営学科
という7学部14学科の総合大学に変わり、2021年度は1万2386人の学部生が学んでいます。
硬派なイメージからイメチェン?
国士舘大学といえば、前述の通り、格闘技系のスポーツ強豪校という硬派なイメージが強いものの、近年はそのイメージから脱却しつつあります。
卒業生や在学生の出場競技の変化を見ると、1984(昭和59)年のロサンゼルス大会まではレスリングと柔道の2種目が大半を占めていましたが、1988年のカルガリー冬季大会でボブスレーに出場してから幅が広がりました。
同年のソウル大会ではハンドボール、陸上、水泳の代表選手が誕生。弘山晴美選手は大学関係者として初めての女子代表選手となりました。弘山選手はアトランタ大会から3大会連続で陸上競技の代表としてオリンピックに出場し、国士舘大学の女性オリンピアンの草分け的存在となりました。
それが分岐点となり、国士舘大学はシンクロナイズドスイミング(現アーティスティックスイミング)や新体操といった、夏季オリンピックの華やかな競技の女子代表選手を輩出しています。
現在の国士舘大学は、かつてのような硬派なイメージとは真逆のスポーツで結果を残すようになっています。
大東亜帝国の国はどこか論
さて、国士舘大学を語る上で外せないのが「大東亜帝国の『国』はどこか」という議論です。
「大東亜帝国」とは都内の有名私立大学を指す大学群のひとつで、これを構成する大学は、
・大:大東文化大学(板橋区高島平)
・東:東海大学(渋谷区富ヶ谷)
・亜:亜細亜大学(武蔵野市境)
・帝:帝京大学(板橋区加賀)
と認知されています。
しかし、「国」に関してはネット上でも
・国士舘大学
・国学院大学(渋谷区東)
の両校が混同されたり、併記されたりしていることが多々あります。
「国」から始まる共通点はあるものの、両校の歴史やカラーは異なります。
国学院大学は古典研究と神職養成所を起源とする教育機関で、看板学部は文学部です。大学昇格も1920(大正9)年と、数ある私立大学のなかで最も古い部類に入る大学として知られています。
そのため、「国」について「国士舘大学または国学院大学」と表記されていても、校風もルーツも似ていないので、気を付けてください。
全国から集まる生徒たち
都内の大学では、東京近郊出身の学生が増加し、いわゆる「関東ローカル化」が進んでいます。
しかし、近年はさまざまなジャンルのスポーツに力を入れている国士舘大学では、65%以上の学生が東京圏(東京都、埼玉県、千葉県、神奈川県)以外の高校出身です。地方出身者が多数を占めている大学は、都内の有名私立大学のなかでは珍しいのです。
体育学部体育学科のみの単科大学としてスタートした国士舘大学は現在、就職後に役立つ資格取得に力を入れています。武道系に特化したスポーツ強豪校のイメージ路線から教育機関としての幅を広げ、新たな歴史を刻もうとしています。