一度は行ってみたい、老舗の江戸前寿司店。でも何となく敷居が高そうと躊躇しているなら、人形町の「㐂寿司」はいかがでしょうか。味はもちろん、さっぱりした愛想の良さと人情深さ、江戸前の気風を今に伝える名店です。
江戸前の気風を伝える老舗店
老舗の江戸前寿司店は、格式が高くて入りづらい――。そんな固定観念を鮮やかにくつがえす店が、中央区日本橋人形町2丁目にあります。さっぱりした愛想の良さと、その奥ににじむ人情深さ。味だけでなく江戸前の “気風”をも今に伝える、創業100年を数える名店です。
「いらっしゃいませ」
のれんをくぐって引き戸を開けると明るい声が掛かるのは、1923(大正12)年創業の「㐂寿司(きずし)」。4代目店主・油井一浩さんら職人が来店客を迎えます。
カウンターの寿司店に慣れない客がまず迷うのは、ネタの選び方や注文の順番。高い店ほどルールが厳しい、そんなイメージはどうしても強い。
しかし油井さんは、「どうぞ好きなものを好きなように召し上がってください」と笑います。客が食べたいものを自由に食べてこそ、満足のいく時間が過ごせるというもの。それに、決まりきった“おまかせ”ばかりでは握る方も実は「つまらない」のだそう。
好きなネタを自由に食べる幸せ
今日はどうしましょうか、から始まる職人たちとのやり取りは、ガラスケースの中を眺めながら具体のネタを指名する客もいれば、「白身と貝の、今日のおすすめをひとつずつ。あと何かさっぱりしたのをいただけますか」と好みに合わせて相談する客も。
もちろん、その日のネタを熟知する職人の目利きにゆだねて「取りあえず6貫くらい握ってください」と頼むのも良し。煮る、〆る、漬けるといった江戸前ならではの味を堪能できる「お決まり」5000円を頼むも良し。
そもそも、来店時はおなかをペコペコにしておかなくてはならない決まりさえありません。近くへ出掛けたついでにフラッと立ち寄り、ふたつ三つだけサッとつまんで出ていくなじみの常連客もいるのだとか。
にぎやかな色街だった頃の記憶
同店の始まりは明治の後期、「江戸三鮨」のひとつとうたわれた「与兵衛寿司」のお弟子の店で修業を積んだ油井喜太郎までさかのぼります。その技を受け継いだ油井さんの祖父が、現・日本橋人形町で寿司屋を開きました。
当時このまちは芳町(よしちょう)という地名で、料亭や置き屋(客の求めに応じて芸者や遊女を宴席に差し向ける業者)がいくつも並び、人々が絶えず行き交うにぎやかな色街でした。
令和の現在でこそビジネス街や首都高速道路に取り囲まれて風景は様変わりしましたが、㐂寿司が寿司のひとつひとつに掛ける手間ひまは、当時も今もほとんど変わりません。
何も変えず、守り続けていくこと
例えば、店の技量が凝縮されたツメ(たれ)。
アナゴをさばいて残った大量の頭と中骨を、カツオブシやコンブとともに3~4時間ほど大鍋で炊き、とろとろになった汁をザルで濾(こ)した後、カンピョウを炊いた汁やダイコン、ニンジンなどを加えてさらに数時間、ひたすら煮込んでいく――。
最後にわずかな調味料で味を調えるまで、丸1日。気が遠くなりそうな付きっきりの作業を、油井さんは「こうしないと出せない味がありますから。今までやり続けてきたことを、これからも続けていくだけです」とあくまで淡々と話します。
「何も変えない。変えずに守り続けていく」ことが、4代目として老舗の看板を背負う信念。2023年に控える創業100年という記念年にも、何か特別なことをするつもりは今のところないのだと言います。
この先50年後、100年後の店の姿について尋ねると、油井さんは少し首をかしげた後「どうなるかは分かりません」と答えました。「寿司屋はネタになる魚が取れないとできない商売ですから」
創業100年と、㐂寿司のこれから
肉料理と魚料理、それぞれの店を営むうえでの一番の違いとは何か。
前者が畜産技術に支えられて比較的安定した食材調達を可能にしているのに対し、後者はあくまで海洋が生み出す天然の魚介を使用している点。「これだ」と思えるネタを仕入れられなくなったとき、㐂寿司の存続についても考えなくてはならないと、油井さんは思案します。
魚類の養殖も目覚ましい進化を遂げているとはいえ、「食べ比べると天然物とはやはり味が全く違う。養殖には独特の油っぽさがあって、うちではどうしても使いたくない」。
伝統の技も、受け継いできた気風も、全てはネタがあってこそ。100年におよぶなりわいを支え続けてきた海産への敬愛がにじみます。
「そうは言っても、向こう10年で店が無くなるなんてことはないですから。どうぞいつでもいらしてください」と言って、油井さんはまた笑いました。
飾らず、洒脱(しゃだつ)。初めて来店する客でもフッと肩の力が抜ける江戸前寿司。いつまでもこの地にあり続けてくれることを願う客は数え切れません。