上野公園の不忍池にたたずむ「めがね之碑」は、東京眼鏡販売店協同組合が50年ほど前に建てたもの。その設置場所やデザインにも由来があるそうです。
めがね業界の発展と繁栄を祈って
昔は「真面目」「ガリ勉」の象徴だった眼鏡ですが、今では「メガネ女子」なる言葉が生まれるほど、そのイメージはアップしています。
そんなメガネ好きにはたまらないスポットが、上野恩賜公園のなかにあるのをご存知でしょうか。公園の南側にある不忍池、そのなかに浮かぶ不忍池弁天堂の近くに、眼鏡のレリーフが彫られた「めがね之碑」があるのです。
でも、上野恩賜公園になぜ眼鏡の碑があるのでしょうか。その謎を調べてみました。
都内の眼鏡小売業者などから成る東京眼鏡販売店協同組合(中央区日本橋)によると、それは不忍池弁天堂の歴史が大きく関係しているとのこと。
不忍池弁天堂が造られたのは江戸初期の寛永年間(1624年~1644年)で、現在の上野桜木にある寛永寺を創建した天台宗の僧・天海によるものだといいます。
天海の諡号(しごう。僧侶などが死後に贈られる名前)が「慈眼大師(じげんだいし)」で、その中に「眼を慈(いつく)しむ」という2文字が使われていることから、それにあやかり、昭和43(1968)年10月、同地に「めがね之碑」を建てたそうです。
「眼鏡業界の発展と繁栄を長く祈念する場にふさわしいと考え、明治改元から100年目の記念事業として建立しました」(東京眼鏡販売店協同組合)
モチーフは家康の使っていた眼鏡
石碑に彫られているのは「目器」と呼ばれる、徳川家康が掛けていた手持ちタイプの鼻眼鏡です。前述の天海が徳川家康のブレーンとして活躍していたことから採用したとのこと。ちなみに家康が実際に掛けていた現物は、重要文化財として久能山東照宮(静岡市駿河区)に保管されているそうで、水晶レンズとべっ甲の縁で作られているといいます。
なお、同組合の白山聡一理事長が代表を務める東京メガネ(世田谷区若林)のウェブサイトによると、眼鏡そのものが日本に伝来したのは1551(天文20)年で、イエズス会の宣教師であるフランシスコ・ザビエルが来日し、周防(現山口県)の国主・大内義隆に献上したものが、その最初とされているそうです。しかし残念ながら現物は残っていないとのこと。現存する日本最古の眼鏡は、室町幕府12代将軍・足利義晴が所持していた眼鏡であるという説が強いようです。
東京眼鏡販売店協同組合では2013年から1年に1度、不忍池弁天堂で眼鏡の供養会を開催しており、組合加盟店などに不要な眼鏡を持って行けば、無料で供養してくれるとのことです。2018年の供養会の開催日は10月1日(眼鏡の日)で、一般参加も可能です。
【めがね之碑】
東京都台東区上野公園2-1
上野駅から徒歩5分