池袋駅近くに、推理作家・江戸川乱歩の旧邸宅があります。周囲は立教大学のキャンパスに囲まれており、建物の管理も同大が行っています。いったいなせでしょうか。
ふたつの「偶然」で残った旧邸宅
新宿や渋谷と並ぶ大都市・池袋には、大正から昭和にかけて活躍した推理作家・江戸川乱歩(本名:平井太郎)の旧邸宅があります。池袋駅から徒歩7分の好立地で、中には乱歩に関するさまざまな資料を展示。旧邸宅の周囲は立教大学のキャンパスに囲まれており、建物の管理も同大が行っています。乱歩と立教大学、両者には何か特別な関係があるのでしょうか。
「それはふたつの『偶然』が重なった結果です」
こう話すのは、立教大学江戸川乱歩記念大衆文化研究センター助教の丹羽みさとさんです。同センターは2006(平成9)年に設立された研究機関で、日本内外の大衆文化を研究するほか、旧乱歩邸の展示物の管理や講演会などを行っています。
丹羽さんによると、築地で開学した立教大学が現在の池袋へ移転したのは1918(大正7)年9月で、その16年後となる1934(昭和9)年7月に、転居魔だった乱歩が同地へ移り住んできたといいます。当時の乱歩邸の周辺は梅林や畑などが広がる、現在とは比べものにならないほどのどかな場所でした。乱歩はここで数多くの作品を執筆し、1965(昭和40)年にその生涯を閉じるまで住み続けました。乱歩の転居、これがひとつめの「偶然」です。
ふたつめの「偶然」は、乱歩の長男である平井隆太郎さん(2015〈平成27〉年没)が、立教大学で長らく教鞭をとっていたことです。また、隆太郎さんは乱歩の遺品や蔵書、資料の保存を生涯のライフワークにしていたため、その縁から2002(平成5)年、それらの管理が立教大学に移されることになったといいます。
旧乱歩邸は現在、年間約7000人が来場する施設となっています。
旧乱歩邸の敷地には母屋と土蔵(豊島区指定有形文化財)があり、母屋の玄関には乱歩の愛用品や直筆原稿が展示されています。また、色鮮やかなカーペットが敷かれた応接間には、ビビッドなブルーのソファーや仕事机が置かれています。
そのほかにも、横溝正史と長野県諏訪市に旅行をした際に撮影した8ミリフィルムや、夢野久作が乱歩に贈った博多人形などもあり、推理小説ファンにはたまらない内容となっています。なお、邸宅内の一部で写真撮影も可能です。
土蔵には膨大な資料、事前予約で閲覧も
土蔵は2階建てで、1階には乱歩が作品を執筆する際に参考にした犯罪関連の資料や文学、洋書ミステリー、哲学書などが、2階には江戸時代の版本(木版で印刷された本)や写本類、保存用の自著などが保管されています。事前予約をすれば、所蔵資料を閲覧することも可能です。
蔵書は現在、土蔵、母屋内の書庫、立教大学図書館の保存書庫に分けられて保管されており、所蔵の詳細は立教大学図書館のウェブサイト上で確認できます。蔵書の総冊数は和書(翻訳書を含む)約13000冊、洋書2600冊、雑誌5500冊ほどです。
また、乱歩は近世資料の収集にも力を入れており、3500冊の和本(手漉きの和紙を使って作られた本)が別途保管されています。そのうち約半数は衆道(男性同士の同性愛)に関する資料と言われています。
「乱歩は(さまざまな学問分野で足跡を残した)南方熊楠や岩田準一らとともに、衆道に関する資料を集めていたようです。それがなぜなのか、どういった目的なのか、現時点では分かっていません。これからの研究が急がれます」(丹羽さん)
また、近年では来場者の層も変化しているといいます。
「アニメ『乱歩奇譚』や漫画『文豪ストレイドッグス』の影響からか、20代前後の女性客が増えています。長年の乱歩ファンと異なり、展示物や資料をじっくり見るというより、『アイドルを見るような感じ』で乱歩を感覚的に味わっており、応接間や土蔵などの写真がSNS上にアップされることもよくあります。このような若い人たちのおかげで、乱歩への関心が高まることを嬉しく思っています」(丹羽さん)
死後50年以上が経っても、さまざまな人たちを魅了する江戸川乱歩。同邸の一般公開は、毎週水曜と金曜(祝祭日を除く)の10:30から16:00まで。気になった人は一度足を運んでみてはいかがでしょうか。
【旧江戸川乱歩邸】
東京都豊島区西池袋3-34-1
各線池袋駅西口から徒歩7分、東京メトロ有楽町線・副都心線「要町駅」徒歩6分
水曜・金曜(特別公開日を除く)