IT導入時に考えなければならない3つの要素(ASIS・TOBE・HOW)。IT導入を成功させるにはこれらを明確にするとともに、「TOBE」を起点に導入を進めることが何より必要です。では、社会環境が目まぐるしく変わる中、一度明示した3要素を変えてよいのか。変える際には何に気を付けるべきか。エンタープライズIT協会 代表理事で株式会社AnityA代表の中野仁氏が、変化に追随するIT導入のポイントを解説します。【第3回:IT企画推進担当者に求められるキホン】
目標は頻繁に変えすぎてもまったく変えないのもNG
IT導入を進める企業の中には、場当たり的な対応で一貫性のないシステムを導入するケースが少なくありません。「どんなシステムを導入すべきか」といったあるべき姿=目標(TOBE)を描いても、IT導入プロジェクトを取り巻くさまざまな要因に左右され、当初のTOBEが変わってしまうことも珍しくありません。
もっとも「TOBE」は当初の内容を貫かず、状況に応じて調整することが大切です。環境の変化に追随するためにも、柔軟に「TOBE」を再定義すべきです。
しかし、目標があまりにも簡単に変わってしまうのも好ましくありません。チーム全体が混乱し、リソースの無駄遣いにつながりかねません。「この機能も追加しよう」「やっぱりこの部分は別の方法で」といった変更が次々と生じると、プロジェクトは迷走し、当初の目標が見えなくなってしまいます。
一方で、目標を硬直的に固定しすぎると、環境変化に対応できず、現実離れした計画になってしまう恐れもあります。変更を一切認めないことは、時として現実的ではない場合もあります。
このジレンマを解決するために、どのようにして具体的な目標を設定し、変化する環境の中でも安定させることができるのでしょうか。こんなときに有効なのが、ありたい姿(TOBE)を「ピン留め」です。変更があってもそれを適切に管理することが重要です。
TOBEをピン留めして変更を適切に管理する
「TOBEのピン留め」とは、変更の可能性を認めつつも、一定期間は方向性として固定し、安定した基準点として活用することです。これは地図にピンを刺して「ここが目的地」と示すように、目標を視覚的に固定するイメージです。山頂を目指す登山者がまず山頂の位置を確認し、そこから登山計画を立てるのと同じように、IT企画においてもまず目標をしっかりと固定することが重要です。
このアプローチの効果は、チーム全員が同じ目標を共有し、「この取り組みは目標達成に貢献するか?」という判断基準を持てることにあります。これにより、バラバラの対応ではなく、一貫性のある施策を展開できるようになります。
TOBEをピン留めする際の重要なポイントは、「十分に検討された目標」であることです。拙速に目標を設定すると、すぐに変更が必要になる可能性が高まります。まずは関係者を巻き込み、十分な議論を経て目標を設定することが大切です。
変更が必要になった場合でも、安易に目標を変えるのではなく、変更の影響を慎重に検討することが重要です。目標変更は例外的な措置として扱い、変更する場合は適切なプロセスを経ることで、一貫性を維持しつつも柔軟性を確保できます。
IT企画推進において、目標は絶対に変えてはいけないわけではありません。重要なのは、変更する場合でも、その内容と理由を明確に記録し、関係者全員に共有することです。これにより、変更があっても全体の方向性を維持できます。
目標変更時に気を付けるポイントは次の4つです。
バージョン管理: TOBEには版番号をつけ、変更履歴を残す
変更理由の記録: なぜ変更が必要になったのか、背景を文書化
影響範囲の分析: 変更によりどの施策に影響があるかを特定
ステークホルダーへの共有: 変更内容を関係者全員に伝達
家の建築に例えると、「間取り図を途中で変更する場合、その変更を記録し、大工さんや電気屋さんなど全員に伝え、工期や予算への影響を確認する」というのと同じです。変更そのものを否定するのではなく、変更を可視化し、その影響を管理することが重要なのです。
では、どんなケースで目標を見直すべきか。具体的なシチュエーションで例示します。
経営層との目標共有と承認
例1: 「デジタル顧客体験向上プロジェクト」では、最初にTOBE文書を作成し、経営会議での承認を得ました。「オンラインとオフラインの両方のチャネルで一貫した顧客体験を提供し、顧客満足度を20%向上させ、購入完了までの時間を30%短縮する状態」という目標に対し、取締役会の公式な承認を得ることで、プロジェクト期間中の安定性を確保しました。
例2: あるメーカーでは、「グローバルサプライチェーン可視化プロジェクト」のTOBEを経営計画の一部として組み込み、3年間の中期経営計画に「全拠点の在庫と生産状況がリアルタイムで把握でき、需要変動に対して1週間以内に生産計画を調整できる状態になっている」と明記しました。これにより、単年度予算の変動に左右されにくい安定した目標を維持できました。
目標変更の適切な管理
例1: 「販売管理システム刷新プロジェクト」では、当初のTOBE(v1.0)を「全営業担当者が顧客情報と販売履歴を一元管理でき、訪問先でもリアルタイムに参照・更新できる状態」としていましたが、プロジェクト中に競合他社の動向を受けて、「AIによる売上予測機能」が必要と判断されました。このとき、単に機能を追加するのではなく、TOBEを正式に改訂(v1.1)し、「全営業担当者が顧客情報と販売履歴を一元管理でき、AIによる売上予測に基づいた提案が可能な状態」と変更。この変更は正式なレビュー会議で承認され、スケジュールとリソースも見直されました。
例2: ある金融機関の「次世代オンラインバンキングプロジェクト」では、規制変更により当初のTOBE(「すべての取引をオンラインで完結できる環境」)が実現不可能になったため、「法規制の範囲内でオンライン取引を最大化する」という表現に修正されました。この変更は公式文書として記録され、関係者全員に周知された上で、具体的な影響範囲(開発中の特定機能の修正)が明確にされました。
ビジョンと整合した目標設定
例1: 「企業のビジョン・経営戦略と整合させる」という観点から、TOBEを上位目標と明確に連動させた例として、ある小売企業では「顧客一人ひとりに最適化された買い物体験の提供」という経営ビジョンに対し、「店舗スタッフがタブレットで顧客の購買履歴とリアルタイムの在庫状況にアクセスでき、パーソナライズされたレコメンデーションを提供できる状態」というTOBEを設定しました。
例2: 「持続可能なITアーキテクチャの設計」という視点では、ある製造業では短期的TOBE「生産現場のリアルタイムモニタリングシステムの導入」と長期的TOBE「全工場のデータを統合分析し、AIによる自動最適化が可能なスマートファクトリー化」を段階的に設定し、短期的な改善と長期的なビジョンの両立を図りました。
TOBEのピン留めを成功させる実践的アプローチ
TOBEをピン留めし、適切に管理するための実践的なアプローチを以下に示します。
1.目標の文書化と可視化
TOBEを明確に文書化し、視覚的に表現することが第一のステップです。これにより、チーム全員が同じ目標を共有しやすくなります。
・TOBEドキュメントの作成: 「誰が」「何を」「どうなっている」を明確にした文書
・視覚的な表現: 図やダイアグラムを用いた表現
・掲示と共有: チームのワークスペースに掲示したり、デジタルツールで常に参照できるようにする
2.変更管理プロセスの確立
TOBEの変更が必要になった場合のプロセスを事前に確立しておくことで、安易な変更を防ぎつつ、必要な変更を適切に行うことができます。
・変更検討会議: 定期的に目標の妥当性を確認する場を設ける
・変更提案フォーマット: 変更の内容、理由、影響範囲などを記載するテンプレート
・承認プロセス: 変更の重要度に応じた承認プロセスの設計
3.関係者の巻き込みと理解促進
TOBEの安定維持には、関係者全員の理解と協力が不可欠です。
・キックオフミーティング: プロジェクト開始時に目標を共有する場を設ける
・定期的な振り返り: 「今の活動はTOBEの実現にどう貢献しているか」を確認する
・成功事例の共有: TOBEピン留めが成功した事例を組織内で共有する
TOBEのピン留めと適切な変更管理は、IT企画推進の成功に不可欠な要素です。 目標を安定させることで一貫性のある計画実行が可能になり、変更が必要な場合も適切に管理することで柔軟性を確保できます。変化の激しい環境だからこそ、「目指す山頂」をしっかりと見据え、その位置を関係者全員で共有することが重要なのです。