2004年に新潟県で発生した中越地震。「復興とは何か?」と考えながら、インターンの学生たちと一緒に人生を立て直してきた被災地域の人たちは、復興の先にある未来の生きがいや幸福を今、見つけ始めています。
右肩下がりの時代に、中山間地域を襲った地震。
2004年10月に新潟県を襲った中越地震。とくに長岡市や小千谷市などの中山間地域では土砂崩れや家屋の損壊などが集中し、死者68人、重軽傷者4795人という大きな被害をもたらした。「中越地震は、人口減少社会の扉を開けた地震でした」と、震災の教訓を未来に伝える『中越防災安全推進機構』統括本部長の稲垣文彦さんは振り返る。「中山間地域の集落で住宅を再建するとき、約3割の世帯がまちでの再建を選びました。それによって、震災前から課題となっていた人口減少や過疎化が一気に加速したのです」。
集落の人々は復興に向けた努力を惜しまなかった。稲垣さんも行事や農作業を手伝ったが、次第に「復興とは何だろう?」と考えるようになった。「人口が増え、経済も伸びる右肩上がりの時代は、壊れた家を再建し、景気の波に乗れば復興は実現できました。でも、中越地震は右肩下がりの時代の地震。家を再建しても人口は減り、経済も伸びないため、復興感が得られなかったのです」。
そんなとき、力になったのが、『中越防災安全推進機構』の活動の柱でもある「にいがたイナカレッジ」のインターンシップで集落を訪れた若い人たちだった。自身も長岡市の川口木沢地区でインターンシップを経験し、今はコーディネーターとして学生を中越地方に迎え入れている は、「私もそうでしたが、今は中越地震を詳しく知らないでインターンシップに応募する学生がほとんど。インターンシップも復興目的ではなく、『地域と自分の価値探求コミュニティ』というスローガンで実施しています。集落や企業の人たちと触れ合うなかで、新しい自分なりの価値を見つけてほしいです」と、インターンシップへの参加を呼びかけた。

「にいがたイナカレッジ」という仕組みから、地域と若者が出合い、関係を深める。
「にいがたイナカレッジ」は、1か月間のプロジェクト型の集落インターンシップと6か月間の企業インターンシップを実施している。企業インターンシップを体験中の新潟大学の大学生は「スーパーではSNSでの情報発信や商品のPOP制作を担当しています。POPはできれば仕入れ担当の従業員に書いてもらえるよう、パソコンで簡単なフォーマットをつくっています」と話す。一方で、川口地域にある数社の企業を訪ね、従業員の人数や年齢層、『安田屋』のことをどれだけ知っているかなどのアンケート調査も実施。「地域外から勤めている方に、帰宅途中に『安田屋』で買い物をしてほしいので、チラシやパンフレットをつくって企業に配布しようと考えています」と、SNSでは届かない層にアナログな方法でアピールするつもりだ。最近は惣菜担当の従業員から惣菜づくりやケーキづくりを教えてもらい、「はまっています」とインターン生活を楽しんでいる。

専務の山森瑞江さんは、「私はストレートにものを言う性格なので従業員との距離を感じるときもありますが、インターン生が、私の思いを従業員に、従業員の考えを私に伝えてくれるという潤滑油的存在となって橋渡しをしてくれています。おかげで誤解が解けたり、勘違いだったことに気づいたり、職場がいい雰囲気になってきています」と喜ぶ。震災後の人口減少や高齢化によってスーパーの売り上げは伸び悩んでいるものの、「彼が来てくれたことで気持ちが前向きになりました。地域に一軒のスーパーとして存続できるよう頑張ります」と力強く話した。

また、川口地域を流れる魚野川では古くから料理店『川口やな男山漁場』によるやな漁が行われてきたが、2011年の新潟豪雨によって川岸にあったやな場と食堂が流されてしまったため、現在、川から少し離れた別館で営業を行っている。「川岸のやな場と食堂を復活させようとしましたが、河川法によって個人の店は建てられないと。150年以上続く伝統のやな場を継続させたいのですが」と話す『川口やな男山漁場』の関達夫さん。そこで、個人店舗としてではなく、やな場で獲った鮎などを焼いて食べられる地域の賑わいの場を団体として川岸につくりたいと交渉を始めている。

その打ち合わせが商工会青年部を中心に開かれているが、家族経営の関さんは多忙で出席できないことも。そこで、会議に出席し、市役所支所とのやり取りを代行してくれる若者を「にいがたイナカレッジ」のインターンシップ震災後は復興ボランティアやインターンシップの学生を受け入れるようになり、「若い人たちのおかげで村の雰囲気が明るくなりました」と募ったところ、都内在住の大学生が応募。店で働きながら、関さんの代役として東奔西走している。大学生は「来てまだ2か月です。地域の人との距離を縮めるのも仕事のうちと思い、電話で済む用事であってもあえて足を運んで顔を合わせて話すようにしています」と語る。住んでいる川口田麦山地区は中越地震で7割ほどの家が損壊した被害の大きかった地域。ただ、行事を頻繁に開く集落でもあり、「不測の事態が起こっても助け合える関係性が普段からつくられていてうらやましいです。来週は運動会。私は水汲み競走と綱引きと玉入れに出ます」と集落に馴染んでいっている様子を笑顔で話してくれた。
インターン生を受け入れ、復興する川口木沢地区。
井上さんも学生時代にインターン生として活動していた山の中の川口木沢地区には、『フレンドシップ木沢』という任意団体があり、震災前から地域おこし活動を行っていた。震災後は復興ボランティアやインターンシップの学生を受け入れるようになり、「若い人たちのおかげで村の雰囲気が明るくなりました」と代表の星野靖さんは話す。

「世代が異なる人たちとつきあうことで、いろいろなことを知ることができるし、人として成長していける気がします。インターンシップの若者たちが集落に来ていなかったら、今の自分もないと思います」。
震災から20年以上が経ち、川口木沢地区の人口は減少を続け、高齢化率は上昇している。「僕らもそれだけ年を取ったということ。でも、こうして若い人たちと話していると、あっという間に若返りますよ」と星野さんは笑う。そんな笑顔の向こうに、被災地の人々の復興後の生きがいが見いだされていくのかもしれない。
