御年90歳、幻の江戸郷土玩具「麦わら細工の角兵衛獅子」を復元した人に会いに行った

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江戸時代、雑司ヶ谷鬼子母神堂の参詣土産には「麦わら細工の角兵衛獅子」と「風車」がありました。明治初期で途絶えてしまいましたが、その存在を知った豊島区の郷土史研究家・矢島勝昭さんが試行錯誤を重ねて復元。90歳となった矢島さんに当時の話を聞きました。

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風車の絵を発見、復元に「胸が躍った」

 1838(天保9)年に刊行された『東都歳時記』に、雑司ヶ谷鬼子母神堂(豊島区雑司が谷)の境内で、「川口屋の飴」「麦わら細工の角兵衛獅子(かくべえじし)」「風車」が土産物として売られていたことが記されています。それらがこの地域の名産物であったことは、『江戸名所図絵』など他の文献にも記述がありますが、麦わら細工の角兵衛獅子と風車は明治初期に途絶えてしまいました。

矢島勝昭さん制作の麦わら角兵衛獅子(2019年6月、宮崎佳代子撮影)

『江戸名所図絵』には、同境内の茶屋の店先に置かれた俵に、麦わら細工の角兵衛獅子と風車とともに、「すすきみみずく(ススキでミミズクを形作ったもの)」が売り物として挿さっている様子が描かれています。

 すすきみみずくは鬼子母神堂の参詣土産として今も販売されていますが、他のふたつが途絶えてしまった理由は定かではありません。すすきみみずくは職人が手仕事で作り上げる品質の確かなものだったのに対し、平易な作りのものであったことが廃れた要因とする文献もありました。

 25年前にこのふたつの郷土玩具の復元に挑んだのが、豊島区の郷土史研究家・矢島勝昭さんでした。矢島さんは1929(昭和4)年生まれで、現在90歳。どのように復元を試みたのか、話を聞きにご自宅を訪れました。

 ご自宅の2階は矢島さんの描いた風景画やコレクション、写真が所狭しと展示されていて、郷土資料の記念館としても公開されています。もともと手先が器用で、若い頃から絵や影絵の制作に親しみ、なかでも影絵は雑誌の挿絵に連載で使われるほどの腕前。その作品の数々は、かなりハイレベルでした。

 矢島さんは日本電信電話公社(現NTT)を定年退職した後、豊島区の郷土史を勉強するなかで、麦わら細工の角兵衛獅子と風車の存在を知ったそうです。幼い頃、「8」のつく日に開かれる縁日に、楽しみに訪れたという鬼子母神堂。そこに、「欲しいけれど高くて子供には買えなかった」というすすきみみずく以外に、名物土産が存在していたことに、新鮮な驚きを持ったといいます。

 このふたつを復元してみたいとの想いにかられるなか、喜多川歌麿の「雑司が谷詣で」を描いた浮世絵に、風車が描かれているのを発見。これならば復元できると、「胸が躍った」といいます。

蟻のように小さな絵から復元に挑んだ、麦わら角兵衛獅子

 風車の制作に取り掛かったのは、1993(平成5)年頃とのこと。材料を揃え、完成させるのはさほど難しくなかったそうです。実物を見せてもらいましたが、直径10センチほどの色鮮やかな風車は、風を受けて軽やかに回転。羽根の彩りも綺麗でした。

今年1月に90歳となった矢島さん(2019年6月、宮崎佳代子撮影)

 他方、苦労を重ねたというのが、麦わら細工の角兵衛獅子の復元。絵が不可欠でしたが、文献にあったのは『江戸名所図絵』に載っていた、蟻のように小さく、簡略化して描かれたものだけ。

 そのほかには、江戸中期から後期にかけて制作された地誌にみられる角兵衛獅子についての記述、「貰ったわらで人形を作り、紙の袴をはかせ、太鼓をもたせた」という説明文のみでした。そこで、角兵衛獅子発祥の地、新潟県の月潟村(現 新潟市南区)に伝承する角兵衛獅子の写真なども参考に、麦わら細工の角兵衛獅子の復元に挑むことにしました。

 身体部分に使うわらは、千葉県の農家からたくさん貰うことができたものの、10cm程度の背丈の角兵衛獅子を作るには太すぎ、先っぽの細い部分のみを使うと、その他の不要な部分が大量のゴミとして家の中に残る始末。「片付けが大変でした」と矢島さんは苦笑い。また、細いわらをしごいてわら人形の形にするのも骨の折れる仕事だったと話します。

 角兵衛獅子の袴や着物は、御茶ノ水にあるおりがみ会館(文京区湯島)で和紙を買い求め、その色や柄合わせに四苦八苦。「なかなか、頭の中に描いていた通りの角兵衛獅子にならなくて、満足がいかなかったです」と矢島さんは当時を振り返ります。

 そんな試行錯誤の末に復元された、麦わら細工の角兵衛獅子。目にした初期の頃の作品は、唐草模様の袴と着物に使われた千代紙の組み合わせが古典的でとても素敵でした。頭の毛は、黒い千代紙で代用するなど、所々に矢島さんの感性が光ります。

 太鼓のバチは爪楊枝を半分にして作り、顔は矢島さんの手書き。ちょっとおどけたような表情に見えるものもあれば、しかめっ面をしたものもあり、手作りの風合いが全体に温かみを与えています。

残りわずかとなった、矢島さん作の角兵衛獅子の「顔」

 残念なことに矢島さんは高齢のため、今はもう麦わら細工の角兵衛獅子も風車も制作することが難しくなっています。昨年(2018)より、雑司が谷に住むふたりの女性、小池陸子さんと原 裕子さんが矢島さんから作り方を習い、許可をもらって制作しています。しかし、角兵衛獅子の顔を作るのが難しく、過去に矢島さんが作ったものを使用していますが、それが残りわずか12個となってしまいました。これから、小池さんと原さんの奮闘が始まります。

麦わら細工の角兵衛獅子の作り方工程(2019年6月、宮崎佳代子撮影)

 小池さんたちが制作した麦わら細工の角兵衛獅子は、矢島さんが出来栄えを確認し、許諾を得て、雑司が谷案内処で販売されます。風車も麦わら細工の角兵衛獅子も、入荷するとすぐに売り切れてしまうほどの人気。価格はどちらもひとつ700円。矢島さんが江戸時代に売られていた土産物の価格から、現在の物価に換算して決めたものだそうです。

 もともと、風車も麦わら細工の角兵衛獅子も「販売するつもりはなかった」と矢島さんはいいます。地元の人たちに、郷土玩具を継承して欲しいとの思いで復元したため、当初は講習会を開いて作り方を人々に教えるなどの活動に使っていました。しかし、その精巧な出来栄えに、売ってみてはどうかと勧められ、雑司が谷案内処で販売するに至ったそうです。

 矢島さんは、少年時代最も愛した遊び場、池袋東口界隈にあった広大な雑木林と根津山(小丘)での楽しかった思い出や、それらが都市開発と共にすべて消滅してしまった残念な想いを記者に語っていました。

 矢島さんが郷土玩具を絶やさないようにと細かに記したたくさんの資料を目にしたり、話を聞いたりするなかで、失われた文化や風景をひとつでも取り戻したいという、地域への深い愛情を感じました。

 復元された風車も麦わら細工の角兵衛獅子も、当時と完璧に同じものではなく、想像や独創的な部分が含まれていますが、大切なのは形の継承以上に、文化の継承。その歴史とともに、いつまでも地域の風景の中にあって欲しいものです。

【雑司が谷案内処】
東京都豊島区雑司が谷3-19-5 並木ハウスアネックス内
アクセス:副都心線「雑司が谷駅」1番出口から徒歩約3分、都電荒川線「鬼子母神前」より徒歩約5分
営業時間:10時30分〜16時30分
定休日:木曜(祝日の場合は営業)
※2階展示ギャラリーで、7月末まで矢島勝昭さんの絵画作品が展示されています。

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