世界を元気にする日本人の誇りを持つ熱き挑戦者たちリレー対談 日本の将来はあなたによって創られる! <第16回>名言「心を折る」を生んだ負けん気と挑戦精神で、還暦でも戦う姿勢を見せ続ける

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公開経営指導協会の理事長・喜多村豊氏が、世界を元気にする挑戦者たちと日本の将来について語り合うリレー対談。第16回目は、11月18日に還暦記念イベント「神取忍還暦祭り~人生もう1度、これからも真向勝負」(TOKYO DOME CITY HALL)を開催するプロレスラーの神取忍さんをお迎えしました。

目次

町道場出身の19歳無職が、全日本選手権で3連覇を達成

喜多村:本日はプロレスラーで女子プロレス団体「LLPW-X」の代表を務めている神取忍さんをお迎えしました。神取さんは女子プロレス界のレジェンドとして知られていますが、もともとは柔道家でいらっしゃったんですよね。しかも、全日本選手権で3連覇を果たしたトップ選手でした。

神取:でも、柔道界では異端の存在だったんです。一般的には中学、高校、大学と柔道部に入りますが、私は一度も入ったことがありません。町道場で柔道を始めて、高校に柔道部がなかったのでそのまま試合に出ていました。最初に全日本選手権で優勝したのは19歳のときで、高校を卒業していたので無職で学生でもなかったんです。だから、新聞やニュースに出たときも肩書がなかったんですよ。

喜多村:普通は、名前の後ろにカッコつきで所属先の大学や会社名が出ますけど、それがなかったということですね。道場の名前も出なかったんですか?

神取:そうなんです。どうやら無職なのが問題だったようなので、町道場で子どもを教えることになりました。そうすれば「神取忍(○○道場職員)」と名乗れるからというんですね。

喜多村:でも、柔道界ではちょっと煙たがられたのかもしれないですね。

神取:全日本を連覇して世界選手権でも3位に入ったのに、頑なに町道場にいたのでそういうところはあったかもしれません。

喜多村:でも、それだけ強かったら大学や実業団からの誘いも多かったのでは?

神取:はい、ありがたいことにお声がけはいただきました。でも、組織に入るのは気が進まなかったんです。やりづらさがあっても、勝負の世界なのでとにかく勝てばいいという思いがありました。そういう負けん気の強さは、当時から人一倍持っていたかもしれないですね。

受け身ひとつできず、挫折を味わったプロレス転向

喜多村:全日本3連覇を果たしたのち、1986年にプロレスへ転向されています。 当時、プロレスは爆発的な人気がありました。転向は早くから視野に入れていたのですか?

神取:全くその気はなかったんです。当時はおっしゃるとおりプロレスブームで、ちょっと体が大きいと「プロレスやりなよ」といわれる時代だったこともあり、周囲からはずっと勧められていたんですが、私はあまり興味がありませんでした。ちょっと斜めに見ていたんですよね。「柔道は投げられたら負けなのに、なぜプロレスはそうじゃないの?」「ロープに振られて戻るなんておかしい。戻る必要ないじゃん」と思っていました。

でも、柔道の仲間が勝手に私の履歴書を送っちゃったんです。そうしたら電話があったんですね。母が出て「あんた、プロレスラーになるの?」といきなり言うから驚いて「いや、知らないよ」となりました。

喜多村:アイドルでも、親や兄弟が本人に内緒で応募して合格するという話がよくありますが、やはり神取さんの才能を見逃さなかったんですね。

でも、1986年といえば女子プロレス界はクラッシュギャルズがダンプ松本さんたちの「極悪同盟」と激しい抗争を繰り広げていた時期で、神取さんが入団されたジャパン女子プロレスが設立された年です。それまで1団体しかなかった全日本女子プロレスも、新しいジャパン女子プロレスも、選手の募集には何万人もの応募があったと聞きました。

神取:そのとおりです。何万人から書類選考で残るのが100名くらいで、最終的に数名しか勝ち残れないという厳しい世界でした。今、LLPW-Xで一緒にやっている井上貴子は、1年に1回しか行われない全日本女子プロレスのオーディションに3年連続で落ちています。4年目でようやく受かりました。

喜多村:井上貴子選手といえば、元祖アイドルレスラーとして一世を風靡し、今も高い人気を誇っています。そんな彼女でも通れなかった狭き門ですから、さすがに神取さんも連絡をもらって心が動いたのでしょうか。

神取:今思えば、気持ちが向くちょうどいいタイミングだったのかもしれません。無職のままだったので暇でしたし、そろそろ何か仕事をしないといけないと思ってジムのインストラクターをやろうと考えていたときだったんです。全日本選手権を3連覇したことで、柔道人生が一区切りという感覚もあったので、ひとまず声をかけてくれたジャパン女子プロレスの社長に会ったんです。

そうしたら、その社長が芸能プロダクション出身ということもあって、「柔道でメダルをとってメシは食えましたか?」と聞いてきたんです。今と違って、まだ女子柔道はオリンピックの種目にもなっていなかったので、「無理ですね」と答えたら、「そうですか。プロレスは税金対策が大変なんですよ」と返ってきた。

喜多村:それほど儲かると言いたかったんですね。

神取:正直、柔道で自信を持っていましたし、どこかでプロレスをなめていたので、それならやってみようと思って入団しました。でも、やはり人間はなめたら痛い目に遭いますね。最初は一切通用しませんでした。受け身ひとつできず、挫折を味わいました。

喜多村:柔道家は受け身ができるから、どんな格闘技でも大丈夫だとよくいわれますが、違うんですか。

神取:全く違うんです。柔道は基本的に横受け身なんですね。でもプロレスは前か後ろ。たとえば、ロープから走ってきてラリアットを受けるときは真後ろですが、柔道は真後ろから受けることがないので、腰が引けちゃうんです。正直怖かった。前受け身も、柔道では昇段試験のときに型をとるくらいなので、最初はすり傷だらけになりました。

なんとか受け身を覚えたら、今度は技を受けることを覚えなくちゃいけない。上から来るのを受ける、キックを受ける。そんなことやったことないわけです。だから、体の鍛え方も含め、柔道とは全く違いました。柔道は勝てば目標を達成できますけど、プロレスは勝つだけでなく、お客さんを満足させないといけない。「受けの美学」という言葉もあるように、受けることでお互いが光るようにしないといけません。柔道の頭からなかなか切り替えることができなくて、それが第2の挫折でしたね。

女子格闘技戦に国会議員、還暦バトルと挑戦は続く

喜多村:柔道との違いに戸惑いながらも、町道場出身で全日本を制したように、プロレスでも新たな道を切り開いてこられました。私自身、強く印象に残っているのが、掟破りといわれたジャッキー佐藤さんとのケンカマッチです。

神取:今でいう女子格闘技戦ですが、当時はそういう「なんでもあり」の試合はありませんでしたし、「あってはならない試合だった」ともいわれました。でもあれは、事前に「ケンカマッチになる」と会社にも伝えていましたし、ジャッキーさんも納得していたんです。

喜多村:なぜケンカマッチになってしまったんですか?

神取:当時、私が練習中にケガをしたんです。でも、「プロレスはケガがつきものだから」という業界の常識があって、よほどの骨折とかじゃないと会社から治療費は出なかったんです。「そんなのおかしい、なんとか変えないとダメですよね」なんて話をジャッキーさんとしていたんですよ。なのに、いざ試合になったらケガした場所にラリアットをしてきたんです。

それが偶然なのか故意なのかは本人しかわかりません。でも、やられたまま黙ってはいられなかったので、「なんでもありなら、そういう試合をしましょうよ」と一騎打ちを申し込み、会社にも了承されました。

喜多村:そういう経緯があった一戦で、かの有名な「心を折る」という言葉が出ました。この言葉は神取さんが発祥ということを日本経済新聞社が調べ上げて報道していますが、どういう思いから出たんですか?

神取:ジャッキーさんとの一戦は、腕を決めてギブアップを奪いました。ギブアップは、痛みや呼吸が十分にできなくなる苦しさが恐怖心を与えるからこそ、奪うことができます。柔道では心技体が重要とされていますが、心が一番上にあるわけです。心をおさえてしまえば、恐怖心を与えることができるという思いはあります。

喜多村:そうやって「心を折る」には、自分自身の心が折れないようにしていかなければなりませんよね。神取さんは女子プロレスの常識を次々に覆して、先ほども話に出た女子格闘技戦も実現させるなど、挑戦を続けてきました。国会議員として政治の世界にも戦いを挑んでいます。

神取:もともと、新たな団体としてLLPWを旗揚げしたとき、積極的な社会貢献活動をするという理念を掲げて、実際にいろいろな施設を回っていたんです。さまざまな理不尽な話を聞く中で、やはり法律を変えていかなければいけないという気持ちが大きくなり、「引退したら政治に携わりたい」という話をしたんですね。そうしたら「引退したら」の部分が端折られて、「神取忍が国会議員をめざしている」という話になったんです。

そうしたら、私が知らない間に自民党の中で話が進んでしまって、公認が下りるということになってしまったので、ならばやろうと腹を決めました。選挙は次点でしたが、竹中平蔵先生が辞められたので繰り上がったという経緯です。

でも、プロレスの受け身で苦労したように、いきなり違う世界から入って活躍できる世界ではなかったですね。参議院議員は6年の任期のうち、最初の3年間で仕組みを覚えろといわれますが、私の場合は繰り上げ当選なのでその勉強期間もなく、かつ政策秘書もなかなか見つからなかったんです。ひとつひとつ丁寧にこなしていかないとやはりダメだということを改めて認識できました。

喜多村:今年10月に還暦を迎えられますが、業界最大級のホットヨガスタジオ「LAVA」とのコラボメニューを展開するなど、挑戦への飽くなき思いを持ち続けていますね。

神取:ヨガは体の使い方やケアの方法を知るのに有効です。私たちプロレスラーだけでなく、誰しも仕事や家事で戦っていますよね。戦える体をつくり、本能を目覚めさせるお手伝いができればと思っています。

私たち自身も、戦い続ける姿勢を見せ続けます。11月18日に開催する還暦記念イベント「神取忍還暦祭り~人生もう1度、これからも真向勝負」(TOKYO DOME CITY HALL)では、ダンプ松本やアジャコング、井上貴子など20代から60代までの各世代のプロレスラーが20人近く集結しますので、ぜひご期待ください。

喜多村:このリレー対談は、世界を元気にする挑戦者たちと日本の将来について語り合うことをテーマにしています。将来を担う若者世代ともリング上で戦っている神取さんが考える「これからの日本、世界を元気にする人材」になるために必要なことはなんでしょうか。

神取:若い世代と接していて非常に思うのは、あいさつができなくなっているということです。目も合わせないで、思考も後ろ向きな人が多いので、まずはしっかりとしたあいさつ。そして、わかったのかわからないのか、明確な意思表示をするという人としての基本を学んでほしいと思います。

喜多村:簡単なようで、意外とできないことだと思います。公開指導経営協会の初代理事長だった父も、率先してあいさつをする「あいさつ先手運動」を推進していました。自分から毎日あいさつをすると、相手も変わってくれる。そうしたシンプルなコミュニケーションが本当にできているか見つめ直していきたいですね。

神取:もうひとつ加えるなら、素直であることです。素直に「はい」と言える子はやはり伸びます。あいさつと素直、この2つの大切さを若い人たちに伝えるのが、大人の仕事だと思います。


◆神取忍(かんどり しのぶ)
1964年10月30日、神奈川県横浜市出身。女子プロレス団体「LLPW-X」の代表取締役社長兼現役プロレスラー。15歳から始めた柔道で1983年から全日本選抜柔道体重別選手権大会(66kg級)3連覇。1984念の世界柔道選手権大会3位。1986年にジャパン女子プロレスに入団。1992年、LLPWの旗揚げに参加。1995年には女子初の総合格闘技L-1に参加。グンダレンコ・スベトラーナに敗れ準優勝に終わるが、1998年の第2回大会で優勝しリベンジを果たした。2006年から2010年まで参議院議員も務めた。

【イベント情報】
「神取忍還暦祭り~人生もう1度、これからも真向勝負」
開催日時:2024年11月18日(月)19時開演(18時会場)
開催場所:TOKYO DOME CITY HALL
出場選手:神取忍、井上貴子、ダンプ松本、アジャコング、井上京子、堀田祐美子、ウナギ・サヤカ、なつぽい、NØRI、キャサリン、神取忍(LLPW-X)、梅咲遙(ディアナ)、水波綾、中森華子、薮下めぐみ、渡辺智子、野崎渚、桃野美桜、他

詳細はこちら
LLPW-X
https://llpw-x.com/kandorishinobukanrekimatsuri/
サンライズプロモーション東京
https://sunrisetokyo.com/detail/27645/

◆喜多村豊(きたむら ゆたか)
一般社団法人 公開経営指導協会 理事長
株式会社ティーケートラックス 代表取締役社長
学校法人早稲田実業学校 前評議員理事・前校友会副会長
一般社団法人 公開経営指導協会
所在地:東京都中央区銀座2-10-18 東京都中小企業会館内
URL: https://www.jcinet.or.jp/

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