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銀座の老舗洋食店の常連客はなぜ芸者衆だったのか?密接だった花柳界と洋食店との関係
東京の老舗洋食店、たいめいけんや資生堂パーラー。意外なことに戦前は、芸者のみなさんがこれらの洋食店に常連客として通っていました。『お好み焼きの戦前史』において、なぜお好み焼き屋は花街に多かったのか、なぜ芸者衆の客が多かったのかを明らかに... -
神楽坂がリトルパリと呼ばれる理由とは?リトルパリのおすすめフレンチをご紹介!
東京都新宿区の神楽坂と言えば、老舗の料亭や旅館が立ち並ぶ横丁があったり、花柳界があったりと和のイメージが強いかもしれません。実は、フランス人在住者が多く、リトルパリと呼ばれているのをご存じでしょうか。本記事では、不動産ライターである逆瀬... -
吉原、品川など遊郭発祥の釜飯 かつては遊女と二人で食べる色っぽい食物だった
東京の浅草などで名物となっている釜飯。もとはというと、明治時代の吉原や品川などの遊郭発祥の食物。その食べ方も、現在とは違い少し色っぽいものでした。食文化史研究家の近代食文化研究会さんが釜飯の発祥とその変遷を解説します。 【作家・長谷川伸が... -
これがコロッケ!?明治時代の姿を残す銀座の「元祖コロッケそば」とは
東京の立ち食いやチェーンそば店の名物、温かいそばにコロッケを載せたコロッケそば。実はコロッケそばがはじめて登場したのは明治時代。現在も銀座の「よし田」において当時と同じコロッケそばを提供していますが、そのコロッケは我々が見慣れたコロッケ... -
元祖は人形町か浅草か。人形焼きはなぜこの形になった?
東京において人形焼が名物の街といえば、浅草と人形町。はたしてどちらが人形焼の元祖なのでしょうか? また、人形焼はどのような歴史を背景として生まれたのでしょうか?『お好み焼きの戦前史』において、お好み焼きと兄弟関係にある人形焼や鯛焼きの歴史... -
焼鳥の発祥地は秋葉原!?現在の焼鳥はゴミのリサイクルから生まれた
居酒屋の定番おつまみ、焼鳥。今から約120年前の秋葉原に、焼鳥の元祖とされる屋台がありました。時代錯誤のチョンマゲ姿をした親父が経営するその屋台の名は「ガラ萬」。ガラとは鳥肉店が捨てるゴミのこと。焼鳥の意外なルーツについて、焼鳥の歴史書『焼... -
カフェー飯まで存在した!戦前の海水浴グルメ
明治時代にブームとなった海水浴。そして海水浴といえば、海の家や売店で食べる、焼きそばなどのさまざまなグルメ。戦前の海水浴グルメにはどのようなメニューがあったのでしょうか?食文化史研究家の近代食文化研究会さんが解説します。 【明治時代に海水... -
吉原の馬肉店は24時間営業だった!なぜ桜鍋(馬肉のすき焼き)は深川と吉原の名物なのか
東京伝統の馬肉のすき焼き=桜鍋。現在も深川や吉原に老舗がありますが、戦前も桜鍋といえば、深川と吉原の名物でした。なぜ馬肉店は深川と吉原に多かったのでしょうか?そしてなぜ、吉原の馬肉店は24時間営業だったのでしょうか?『串かつの戦前史』に お... -
文明開化の味「あんパン」。そのルーツは欧米ではなく中国にあった?!
明治時代初期に発売され、全国的なヒット商品となった木村屋總本店のあんパン。欧米文化が流入した際に発明された「和洋折衷」文化の象徴とされるあんパンですが、実は当時の欧米文化とは関係のないものでした。意外なそのルーツを食文化史研究家の近代食... -
野口英世が通った東京一の牛丼屋。その意外な具材とは?
明治30年、学生時代の野口英世は、東京一と評判だった本郷の牛丼店に通っていました。その牛丼の具材は、現在の牛丼の具材とは全く違っていました。著書『牛丼の戦前史』において牛丼の起源および歴史を明らかにした、食文化史研究家の近代食文化研究会さ...