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路面電車が食文化を変えた!――昭和3年の銀座にお子様ランチが現れた理由【後編】
昭和時代のデパートの食堂を象徴するメニュー、お子様ランチ。お子様ランチはデパートの専売特許ではなく、銀座のレストランでも出されていました。また、お子様ランチだけでなく、お子様寿司というものも存在しました。なぜ昭和初期のデパートやレストラ... -
TSUTAYA創業者もあやかった!?人気絵師や職業作家を見出したヒットメーカー蔦屋重三郎とは
江戸時代、浮世絵師の挿絵入り書籍は写真集やメディア、漫画のような存在でした。吉原のガイドブックをヒットさせた蔦谷重三郎は、書店として日本初の職業作家や人気浮世絵師を世に送り出します。時の政治に翻弄されながら化政文化に多大な影響をもたらし... -
日本の鉄道150年 開業の地「新橋」に今もある当時の面影
2022年は、鉄道の歴史が始まって150年になります。鉄道開業当時の新橋駅は、現在の汐留シオサイトにありました。その後関東大震災で焼失したものの、100年近い年月を経てほぼ同じ外観で駅舎が復原されました。当時をしのばせる西洋風の停車場や懐かしいSL... -
サントリーがお手本にした! 日本最古のバー「神谷バー」の創業者とは
浅草にある、現存する中で日本最古のバー、神谷バー。神谷バーを創業した神谷伝兵衛は、戦前の洋酒界の巨人。現在の洋酒界の巨人サントリーの歴史も、もともとは神谷伝兵衛のビジネスモデルの模倣から始まったのです。焼鳥の歴史書『焼鳥の戦前史』におい... -
疫病予防にとりあえずビール!?東京新橋発の明治時代ビアホールブームの真相とは
1899(明治32)年に東京の新橋で生まれたビヤホール。開店と同時に一大ブームとなり、東京各地に雨後の筍のごとくビヤホールが増殖していきました。なぜビヤホールは明治時代の人々の心をとらえたのでしょうか? 『串かつの戦前史』において、東京におけ... -
サッカーと傘(カサ)の不思議な関係?昔は「カサ」で今は「サッカー」の街 御茶ノ水・湯島エリアの坂道話
日本サッカー協会のあるサッカー通り。この場所は江戸の昔、傘づくり職人の住まう地でした。カサとサッカー、不思議な歴史のご縁を旅行ジャーナリストのシカマアキさんが解説します。 【江戸時代は史跡や神社、藩邸などがあった界隈】 日本のサッカーフ... -
メイドカフェブームの原点は上野にあり!? 115年前の博覧会とは
明治時代末に銀座で巻き起こり、全国に広がっていったカフェーと女給のブーム。そのはじまりは1907(明治40)年に上野で開催された東京勧業博覧会にありました。いったい博覧会で何が起こったのか、そもそもなぜ、女性給仕がブームになったのか。洋食の大... -
安産・子育守り「すすきみみずく」を消滅から守る(後編)ー職人が作り方を教えなかった理由
昭和40年代、東京の郷土玩具「すすきみみずく」の職人はわずかとなり、後継者難が叫ばれるようになりました。その一方で、職人たちは作り方を人に教えようとしませんでした。理由は何だったのか。筆者はその答えを、亡くなった職人たちが作ったみみずくを... -
中華料理の回転テーブルはアメリカ家具だった!
中華料理でおなじみの回転テーブル。これが初めて販売されたのは、三越などの東京のデパートにおいてでした。日本での発明説がありますがそれは事実ではなく、もともとはアメリカで普及したものです。なぜアメリカで回転テーブルが普及し、その後廃れてし... -
汐留にあったブロックビル「中銀カプセルタワー」ついに見納め――建物自体が「世界に散らばる」ってどういうこと?
4月12日に解体が始まった、独特の外観で親しまれた汐留の「中銀カプセルタワービル」。その歴史と今後について、都市商業研究所の若杉優貴さんが解説します。 【汐留にあった「近未来」、半世紀の歴史に幕】 今年4月12日、汐留の街では多くの人が立ち止...