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食大正生まれの作家も食べた憧れの洋食――昭和3年の銀座にお子様ランチが現れた理由【前編】
昭和時代のデパートの食堂を象徴するメニュー、お子様ランチ。ところが昭和初期のお子様ランチはデパートの専売特許ではなく、銀座のレストランでも出されていました。そしてお子様ランチの前には、「大人様ランチ」が存在したのです。また、お子様ランチ... -
食明治時代の力士たちは何を食べていたのか?両国・相撲グルメの危険な誘惑
相撲の街・東京の両国。今も昔も、力士たちは大食漢であり、グルメでもありました。しかしながら「ちゃんこ鍋」という名の付いた鍋は、戦前には存在しなかったようです。戦前の力士たちは何を食べていたのでしょうか? そして、全国を食べ歩いた美食家ぞろ... -
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戦前は働く庶民の「エナジードリンク」だった。浅草のファストフード、ドジョウ料理。
浅草そして東京の名物であるドジョウ料理。現在では高級料理となったドジョウ料理ですが、もともとは牛丼のような庶民的なファストフードでした。そして人力車夫や行商人のような、体力を使う労働者に特に愛されたのです。なぜドジョウは東京の働く庶民に... -
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江戸時代の吉原名物だった焼きトウモロコシ。浅草の雷おこしも、もともとはトウモロコシ製だった?
16世紀に日本に渡来したトウモロコシ。幹が太くて風にも倒れず、寒さに強いトウモロコシは、山間部における貴重な食料となりました。一方、江戸などの都市部ではもっぱらおやつとして食べられていたようです。食文化史研究家の近代食文化研究会さんが解説... -
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銀座の老舗洋食店の常連客はなぜ芸者衆だったのか?密接だった花柳界と洋食店との関係
東京の老舗洋食店、たいめいけんや資生堂パーラー。意外なことに戦前は、芸者のみなさんがこれらの洋食店に常連客として通っていました。『お好み焼きの戦前史』において、なぜお好み焼き屋は花街に多かったのか、なぜ芸者衆の客が多かったのかを明らかに... -
食
神楽坂がリトルパリと呼ばれる理由とは?リトルパリのおすすめフレンチをご紹介!
東京都新宿区の神楽坂と言えば、老舗の料亭や旅館が立ち並ぶ横丁があったり、花柳界があったりと和のイメージが強いかもしれません。実は、フランス人在住者が多く、リトルパリと呼ばれているのをご存じでしょうか。本記事では、不動産ライターである逆瀬... -
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吉原、品川など遊郭発祥の釜飯 かつては遊女と二人で食べる色っぽい食物だった
東京の浅草などで名物となっている釜飯。もとはというと、明治時代の吉原や品川などの遊郭発祥の食物。その食べ方も、現在とは違い少し色っぽいものでした。食文化史研究家の近代食文化研究会さんが釜飯の発祥とその変遷を解説します。 【作家・長谷川伸が... -
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これがコロッケ!?明治時代の姿を残す銀座の「元祖コロッケそば」とは
東京の立ち食いやチェーンそば店の名物、温かいそばにコロッケを載せたコロッケそば。実はコロッケそばがはじめて登場したのは明治時代。現在も銀座の「よし田」において当時と同じコロッケそばを提供していますが、そのコロッケは我々が見慣れたコロッケ... -
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元祖は人形町か浅草か。人形焼きはなぜこの形になった?
東京において人形焼が名物の街といえば、浅草と人形町。はたしてどちらが人形焼の元祖なのでしょうか? また、人形焼はどのような歴史を背景として生まれたのでしょうか?『お好み焼きの戦前史』において、お好み焼きと兄弟関係にある人形焼や鯛焼きの歴史... -
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焼鳥の発祥地は秋葉原!?現在の焼鳥はゴミのリサイクルから生まれた
居酒屋の定番おつまみ、焼鳥。今から約120年前の秋葉原に、焼鳥の元祖とされる屋台がありました。時代錯誤のチョンマゲ姿をした親父が経営するその屋台の名は「ガラ萬」。ガラとは鳥肉店が捨てるゴミのこと。焼鳥の意外なルーツについて、焼鳥の歴史書『焼...
