母を救いたい——その一心から生まれた医療機器。「ヘルストロン」の知られざる開発秘話

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公民館や健康イベントなどで、ひときわ目を引く背の高い椅子を見かけたことはありませんか。実はこれ、「ヘルストロン」という医療機器で、全国約5000カ所の医療機関・福祉施設に設置されています。電位治療器として日本で初めて厚生省(現・厚生労働省)に承認されたことでも知られる「ヘルストロン」、その誕生には知られざる秘話がありました。

当時の医療では打つ手のない症状に悩む母を救うために

家庭用・医療用電位治療器として、厚生省(現・厚生労働省)に承認されてから60有余年。累計100万台以上のロングセラーとなっている「ヘルストロン」は、「母を救いたい」という一人の青年の強い思いから生まれました。「ヘルストロン」の開発・製造を手がける白寿生科学研究所の原浩之社長は、次のように話します。

「私の祖父にあたる原敏之の母、原古登(こと)は、仕事の忙しさが原因でひどい頭痛や不眠、肩こりに悩まされ、寝ることも食べることもできない状態に陥っていました。更年期障害のひどい症状だったようで、当時の医療では打つ手がありませんでした」

ある医師が口にした「理学療法という方法があるが、まだ治療に用いることのできる水準ではない」という言葉に希望を見出した敏之青年は、長崎医科大学(旧制)で研究に没頭。その結果、レントゲン装置の製造に成功し、今から101年前の1925年(大正14年)に「帝国レントゲン株式会社」を設立します。後述しますが、これがヘルストロンの出発点となりました。

「当時は『日本のエジソン』などと呼ばれて、『主婦の友』の表紙を飾ったこともあったそうです」

でも、母を救おうと懸命な敏之青年は、そんなことでは満足せず、さらに理学療法の研究に没頭します。その結果、出会ったのが理学療法の先進国だったドイツの医学誌でした。

「その医学誌に掲載されていた『生物の生命と電気』と題された記事には、高圧送電線下の人々や植物の生育状態が良好だという調査結果が発表されていました。敏之は、母を救いたい一心で、この仮説の検証に取り組みます」

ここで、レントゲン装置を製造した技術力が活かされます。当時のレントゲン装置には、X線を発生させるため、20万ボルトもの高電圧へと変換する変圧器が組み込まれていました。この技術を転用し、高電圧を人体に作用させようと考えたのです。

息子を信じた母の「献身」が、電位治療の扉を開く

しかし、100年前の日本で「高電圧を人体に作用させる」ことは、簡単には受け入れられませんでした。敏之青年は、自らの身体を使って何度も高電圧の通電試験を行い、安全性に確信を持っていたので公開実験を実施しますが、そこでハプニングが起きてしまいます。

「感電死などの事故が起きるのではないかと危ぶまれ、警察官も立ち会うなど100名以上が集まっていました。しかし、いざ実験を始めようとしたら、被験者をお願いしていた人が、怖気づいたのか逃げてしまったんです」

そのとき、名乗り出たのが母の古登でした。止める周囲を「息子を信じる」とはねのけて実験台へのぼり、無事実験を成功させます。しかも、その夜、古登は長年続いた不眠が嘘のように熟睡し、翌朝になると頭痛も消えたそうです。母を救いたいという息子の願いと、息子を信じた母の愛。母子の強い想いが、全く新しい「電位治療」という扉を開いた瞬間でした。

「その後も敏之は研究を続け、1950年代に早くも腸内環境の大切さやホメオスタシス(恒常性維持機能、外部環境が変化しても体温や血糖値、血圧など体内の状態を保とうとする生体本来の機能)についての文章を発表しています。そして、1961年には医学博士号を取得しました。平均年齢が60歳代だった時代、すでに還暦を迎えようとしていたにもかかわらず、健康への情熱が衰えなかったことを示しています」

母を想う気持ちから始まり、『健康を通して人類の幸福を実現する』という白寿生科学研究所の企業理念へと昇華していった敏之の想いは、その後も綿々と受け継がれてきました。浩之社長はこう続けます。

「創業者の原敏之は、セルフケアの重要性を謳い、『ゆとりある精神』『バランスのとれた食事』『適度な運動』の必要性を提唱しました。これは、WHO(世界保健機関)憲章における健康の定義である『肉体的・精神的・社会的な健康』とも呼応しています。だからこそ、ヘルストロンの開発・製造に加え、健康食品やハクジュプラザなどの地域コミュニティの基盤づくりにも力を注いできました。代々木公園近くの井ノ頭通り沿いにある本社ビル7階に、クラシック音楽のコンサートホールとしては初めてのリクライニング・シートを配置した『HakujuHall』を開設・運営しているのもその一環です」

いわば、「肉体的・精神的・社会的な健康」の実現を支えることが最優先だということです。そのため、白寿生科学研究所では営業ノルマを設けておらず、「年間に1万台ペースで販売を続けていますが、クーリングオフはほぼゼロです」と明かします。

「大げさな話ではなく、全国450カ所あるハクジュプラザには、購入することなく何年も、それこそ10年以上通っているお客さまは珍しくありません。採用活動では、よく『お客さまに喜んでいただくことで繁栄する社会貢献型企業で働きませんか』と申し上げています」

101年目の「BEYOND HAKUJU」へ、AI活用の新たな挑戦も

そうした社会貢献の志向は、ヘルストロンの進化にも反映されています。まず初期は、堅牢性を高めることが求められたと浩之社長は語ります。

「1963年(昭和38年)に厚生省(現・厚生労働省)から医療機器として承認されたのち、インドやフィリピン、ブラジル、ペルーなどに寄贈しました。そうした国々は当時、まだ道路が整備されていなかったので、悪路で運んでも壊れないものにしなければならなかったんです」

その後も随時改良を重ね、現在は椅子に座って使用する椅子式タイプと、横になって使える寝式タイプの2種類を展開。椅子の座り心地や寝具の快適性など、細部まで使用感も改良し続けているほか、電動リクライニングを導入したり、ヨーロッパのデザイナーを起用したりと機能面だけでなく「ゆとりある精神」のサポートにも余念がありません。

「白寿生科学研究所は、白寿(99歳)までいかに健康で長く生きられるかを科学し続けてきました。白寿を超え、百寿となる創業100年を迎えた2025年には、海外売上比率が初めて15%を超えました。101年目に入る2026年は、ビヨンド白寿(BEYOND HAKUJU)の意気込みで、グローバル展開へさらに力を入れつつ、新たなことにもチャレンジをしていきたいと思っています」

BEYOND HAKUJUに取り組む「新たなこと」の1つが、スタートアップの立ち上げです。若手社員が中心メンバーとなり、AIを活用してヘルストロンの新たな可能性を探る研究を進めていきたいと浩之社長は熱っぽく語ります。「母を救いたい」という、誰もが共感する想いでスタートしたヘルストロンが、新たなテクノロジーと融合することでさらに進化していくことが期待できます。

「人生100年といわれる時代、健康リテラシーを高めて健康寿命を伸ばし、充実した人生を過ごしていただく方を一人でも多く増やしていくことが私たちの使命であり、願いです。そのためにも新しいことも積極的に取り入れ、『介護のいらない社会』をつくることに貢献していきたいと思っています」

◆株式会社白寿生科学研究所
東京都渋谷区富ケ谷1丁目37−5 白寿本社ビル
お問合せ:0120-05-8910(平日9時〜17時)
https://corp.hakuju.co.jp/

◆健康ステーション ハクジュ プラザ
https://www.hakuju.co.jp/#

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