孤高の表現者シシド・カフカが経験した「最低な夜」と、今だから話せる東京での日々【インタビュー企画】東京、来春(1)

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いつかかなえたい夢、いつかなりたい自分――。いつか“花咲く日”を待ち望みながら東京に根を張って生きる人たちにお送りする、著名人インタビュー企画「東京、来春」。今回は、ドラムボーカル・女優・モデルなどさまざまに活躍の場を広げ続けているシシド・カフカさんです。

目次

“謎の美女”と称された鮮烈デビュー

ドラムボーカル・女優・モデルなど活躍の場を広げ続けるシシド・カフカさん(画像:ケイダッシュ)

 シシド・カフカさん。

 自身で書く力強い歌詞と、アップテンポの激しいメロディー。「カフカ」というアーティスト名の由来にもなった黒いファッション。髪を振り乱しながらドラムをたたき、歌う圧巻のパフォーマンス――。

 孤高、タフ、完璧といった世間が抱くイメージの一方で、彼女がこれまで紡いできた作品の中には、そうしたワードとは真反対ともとれるバラード曲がありました。

<東京の空を 眺めて歩いた
 夢を抱き 壁にぶつかりながら>

<どれだけ 超えていけばいい
 消えたい程に ひとりの夜を>

 2016年4月リリースの3rdアルバム『トリドリ』に収録されている、「最低な夜のあと」(作詞:シシド・カフカ、作曲:大西省吾)。すでに計7枚のシングル・アルバムCDをリリースし、テレビドラマや映画への初出演も果たしていた頃の楽曲です。

 シシドさんが歌詞に編んだ“最低な夜”とはどんな夜だったのか。そしてその“夜のあと”には、何が待っていたのでしょうか。

最低な夜「たくさんあった」

 今振り返るとデビュー当時はすごく気張っていた。そうシシドさんは語ります。

「自分がかっこいいと思うミュージシャン像を追いかけて、こうあるべきという固定概念を抱えていました。だから本当は、できたら人前で笑いたくないし、プライベートの話だってしたくない、なんで努力しているってことを言わなきゃいけないの? って思っていました。シシド・カフカというミュージシャンであることに徹しようとしていたんだと思います」

 14歳、父親の仕事で滞在していたアルゼンチンでドラムを始め、東京に帰国後、高校時代からバンドでの活動を開始。下積みを重ね、CDデビューは27歳のとき。決して“早咲き”ではありませんでした。

「最低な夜は……たくさんありました(笑)。デビュー前はどうしても気持ちが後ろ向きになった時期もありましたし、ようやくデビューが決まってやった! と思ったら、その後にもっと大変なこともいくつも経験しましたし」

インタビューに答えるシシド・カフカさん(画像:MAMI HASHIMOTO)

 大変なこととは、例えば多忙を極める日々での、時間的な制約や、体力的な限界。

「とにかく目まぐるしくて忙しくて、何かこう『抜け出せた』という手応えを感じられない時期がずっと続いていましたから。もちろんいい夜もいいこともたくさんあったけど、それすらうがった見方しかできなかった時期がありました」

 クール、美女、ミステリアスと評される裏で、ひとり思い悩んでいた時間。それでもプロとして数々の経験を積み、少しずつ自分を客観的に見られるようになってきた頃に書いたのが、この「最低な夜のあと」でした。

「こうでなきゃ、と凝り固まっていた固定概念から、あるときフッと抜け出せた感覚がありました。いい意味で諦めつつ、いい意味で受け入れつつ。そんな感覚を持てた瞬間の歌詞、言葉が、この曲になりました」

今だから分かることもある

 同曲は、決して報われることばかりではない日々を東京で過ごす人にとって、まるで自分のことのように感じられるフレーズが続きます。

<それでも 止まらず行く
 希望を抱く日も 失くす日も ただ走るだけの日も>

 デビューから間もなく9年。今だからこそ分かることもあると言います。

「あのときは、もっとこうすれば良かったんだね」
「あのときの私、きっと間違っていなかったよね」
「でもあのときは、本当はあれじゃ駄目だったんだよね……って」

 かつての自分に語りかけるように、シシドさんは言います。

「(最初は)とにかくぶつかって、誰にも求められていないのに、ひとりでぶつかって『痛い、痛い』って思っていました。ひとつひとつ全部、真面目に向き合っていたので」

「『この服を着たら周りの人にはどう見られるかな』とか、『今の発言はどう受け取られてしまうんだろう』とか。ひとつひとつ考えずにはいられなかったから、それじゃあ(心身が)もたないよなあって。今から思えば、よくやっていたなあって思います」

 ぶつかりながらもがいてきた自分自身を、認めて、慰撫(いぶ)できるようになった。その経験がシシドさんを以前よりも少し強く、しなやかにさせました。

 曲の歌詞は最後、こう結ばれています。

<朝陽がほら 温かい
 こんな私も 悪くないね
 まだ続け この空の下>

はじける笑顔を見せた瞬間

 少しだけ気持ちに余裕のできた今も、絶えず新しい挑戦を続けていると言います。

 2018年に始めたのは、自身がコンダクター(指揮者)を務め100種類以上のハンドサインを駆使して打楽器奏者たちと即興の音楽を作り上げる公演「el tempo(エル・テンポ)」。

“ドラムボーカルとしてのシシド・カフカ”がミュージックビデオなどで見せる凛とした表情とは打って変わって、総勢11人の奏者を束ねるシシドさんは、次々と生まれるリズムに合わせて、ときにはじけるような笑顔を見せてくれます。

「何度、打ち合わせやリハーサルを重ねても、即興ですから本番は何が起こるか分からない。かっこつけている暇がないという意味では、本当に素の状態なのかもしれません」

 2020年からの新型コロナ禍で、ライブ開催も思うようにはいきませんが「本当は隔月に1回くらいのペースでやりたいんです。音楽があって、お酒を飲んで、皆で踊れて。そんな“大人の遊び場”を作りたいなと思っています」。

まだ続く東京での日々

 生まれはメキシコ、中学時代を過ごしたアルゼンチン。それ以外の時間のほとんどは、東京で暮らしてきました。

 懐かしい場所として思い出すのは、通学で使っていた京王井の頭線や小田急線。都内の好きな場所は、明治神宮だと言います。

「緑が多いし、道が広いし、静かだし。(コロナ以前は)大きな仕事がある前にひとりでお参りに行きました。街歩きもしますが、人が多過ぎる場所は苦手です。かといって郊外や別の県に引っ越すかと言うと、たぶんそれはしないとも思う」

「地方から上京してきた友人たちみたいに『自分の故郷だ』とはっきり言える場所は私にはないんですが、でもやっぱりこれからも東京で暮らしていくんだろうと思います」

やわらかい笑顔を見せるシシド・カフカさん(画像:MAMI HASHIMOTO)

 この先も過ごすであろう東京は、どんな街であってほしいと考えているのでしょうか。

「新旧どちらも大切にする街であってほしいですね。外から入ってくる新しい文化を取り入れながらも、一方で東京がもともと持っているものを変わらず残していってほしい。新宿ゴールデン街のような場所を粋に楽しむ若者が、これからもちゃんと育っていったらいいなと思っています」

 最低な夜も、最高の夜も経験してきた街、東京。これからもときにぶつかりながら、この場所を拠点にして挑戦の日々は続いていきます。

シシド・カフカさん一問一答インタビュー

――一番好きな食べ物とお酒は?

 お肉と、ビール。お肉料理って、自分のなかでブームがありません? 「今、鳥が食べたい!」とか。

――今まで見た中で、一番好きな映画は?

『ローズ』(1979年、アメリカ)。ジャニス・ジョプリンをモデルにした女性シンガーの物語です。才能があって、それを激情的に表現する力も持っていて、苦しみながらも音楽にしがみついていける気持ちを持ち合わせている。かっこいいなって。あこがれです。

――座右の銘は?

「なせば成る」。デビュー前からずっと、なせば成ると思っています。

――一番好きな季節は?

 秋。ご飯がおいしい、お酒がおいしい。あと、セーターが好きなんです。着るとホッとしますよね。あと紅葉も好きです。

――コロナ禍で始めた新しい習慣は?

 模様替えです。家具の配置換えとか、気分転換になります。今まで使っていた食器や寝具も見直して、メード・イン・ジャパンの本当に良いと思えるものを集めることにしました。

――ひとりきりの時間と大勢で過ごす時間、どちらが好き?

 どっちもなきゃ駄目ですね。「エル・テンポ」のメンバーといるときはすごく楽しいけど、ひとりに戻っていろいろ考える時間も必要だし、ひとりのときに思いついたアイデアを、またメンバーに持っていくのも楽しい。バランスです。

――いちリスナーとして聴くなら、どんな曲が好き?

 ミディアムテンポの曲です。例えばジャニス・ジョプリンの「Me and Bobby McGee」。ちょっとずつ(テンポが)上がっていく感じの曲です。こういうのを流しながらの模様替え、めちゃくちゃ楽しいですよ。

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