日本庭園の技法を取り入れた隅田川唯一の水上公園「中の島」とは何か?

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東京湾の奥座敷に佇む、小さなオアシス・中の島について、都市探検家・軍艦島伝道師の黒沢永紀さんが解説します。

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中の島とは何か?

 国内に7000弱あるといわれる島。その中で、中の島、あるいは中之島や中ノ島と名のつく島の数は、沖ノ島などとともにかなり上位にランキングされるのではないでしょうか。中でも大阪の中之島をご存知の方は多いことと思います。

 あまり知られていませんが、東京にも中の島があります。東京でもっとも古い埋立島が寄り添う隅田川の河口、月島と越中島を結ぶ相生橋の下にある隅田川で唯一の水上公園、それが中の島です。今回は、東京湾の奥座敷に佇む、小さなオアシス島の話です。

石造りの常夜灯と鉄骨の相生橋が妙にマッチする中の島(画像:黒沢永紀)

 東京湾はもともと遠浅で、湾に注ぎ込む河川も、河口付近では中洲ができがちでした。江戸時代から隅田川の河口にあった中洲が石川島と佃島で、このふたつの中洲島が隅田川を二分し、西側が隅田川の本川(ほんせん)、東側が派川(はせん)になります。現在、派川は晴海運河と呼ばれますが、行政上はどちらも隅田川のようです。

浚渫された土砂で造られた月島

 明治の中頃、堆積する土砂で船の運行に支障をきたしてきたことから、隅田川の河口を浚渫(しゅんせつ。水底をさらって土砂などを取り除くこと)する「東京湾澪浚(みおさらい)計画」が始動しました。そして、浚渫された土砂で最初に造られたのが今の月島です。

赤い目印が中の島公園(画像:(C)Google)

 月島が完成すると、派川は以前にもまして川らしくなり、月島と東側対岸の越中島の間に、ふたたび中洲ができるようになりました。この中洲が「中の島」の原型になります。

 おりしも、埋立地ゆえに水が少ない月島へ、対岸の越中島方面から水を引く計画が持ち上がり、そこで大きく貢献したのが中の島でした。

元々は中継地点としての人工島

 派川にある中洲の一部を人工島にして中継地点とし、両側に木橋を架けての通水計画。この橋が現在もその名が残る「相生(あいおい)橋」で、距離が短かい越中島側の「相生小橋」と距離が長い月島側の「相生大橋」が竣工したのは1903(明治36)年のことでした。

ちょっと複雑なプラットトラスが美しい現在の相生橋(画像:黒沢永紀)

 ちなみに相生橋の名称の由来は、ひとつ上流にある永代橋と相対する関係にあるからとか、大小の橋が相生の関係だからとか、中の島から二方向に生え出ることからとか、ふたつの橋を相生の松になぞらえたことからなど諸説紛紛で、どれが本当かわかりません。

 相生橋が竣工して間もない明治末期の写真に写る中ノ島を見ると、コンクリートの人工地盤を階段状に2段積み重ねたような姿をしているのが見てとれます。おそらく今よりはるかに小さかったのではないでしょうか。

 大正に入って、都電開通のために橋幅が拡張されるものの、関東大震災で炎上した船が橋に接触し、木造だった相生橋はあえなく焼失してしまいます。

 その後相生橋は、1926(大正15)年に鉄鋼橋として復活。関東大震災の後の復興事業の一つである橋梁復興事業の中では、一番初めに完成した橋でした。

潮入りを取り入れた隅田川唯一の水上公園へ

 橋が完成してほどなく、中継地点だった中の島を拡張して水上公園にする計画が持ち上がり、1927(昭和2)年に完成したのが、その姿を今に伝える中の島公園です。

 中の島公園の最大の特徴は、「感潮池」と名付けられた、いわゆる「潮入り」を取り入れているところです。潮入とは、池などに海水を引き込み、池の潮位が変わることで風景に変化を作り出す日本古来の庭園の技法。

相生橋から見た、水辺に感潮池を持つ島の南エリア(画像:黒沢永紀)

 浜離宮の潮入池は特に有名で、それ以外にも中の島と同じ江東区の清澄庭園の池などは、かつて潮入りの池でした。

 完成当初は隅田川で唯一の水上公園とあって訪れる人も多く、大いに賑わったといいます。昭和の中頃には、隅田川の水質汚濁で閉鎖された時期もあったようですが、その後の隅田川再生活動で川が綺麗になると、公園も整備し直され、1980(昭和55)年に再び開園しました。

 なお、この復活整備の時に小橋が完全に埋め立てられ、小橋側が地続きになってしまったので、現在の相生橋はかつて大橋があった位置にかかる橋だけとなっています。

 また、この付近は月夜の名所として知られていたので、その眺望を損なわないようにと、当初から欄干の低いガーダー橋でしたが、湾岸地区の交通量の増加に伴い、1999(平成11)年に改修されて、現在のトラス橋となりました。

中の島公園を歩く

 現在の中の島は、南北115m、東西40m、周囲260mで、島の中央を清澄通りが寸断しているため、島への出入り口は両車線の脇にそれぞれ1箇所ずつ設けられています。

 北側から入ると、深い木立に包まれた公園が広がります。なかば散乱しているかのように点在する石造りのベンチやテーブルの多くは、その劣化具合やデザインから、おそらく開園当時のものではないでしょうか。島の北端には大きな桜の木が育ち、春には格好の花見スポットとなることでしょう。

島の北エリアと南エリアをつなぐ感潮式の飛び石通路(画像:黒沢永紀)

 そして、公園の北エリアから相生橋のたもとへ近づくと、島の南エリアと通じるアンダーパスがあります。ただし、フラットなコンクリート敷きの通路ではなく、高さ50cmほどのコンクリート製の円柱が無数に並ぶ、ちょっと変わった通路に、少しとまどうことでしょう。円柱が密接しているので、歩行にそれほど苦労はしませんが、いわば飛び石のように進む形です。

 これが前述の「潮入り」。特に大潮の満潮前後だけなので、普段は飛び石の効果がありませんが、それでも流れ込んだ水が残っていることが多く、フラットなものより、遥かに親水に長けた通路と言えるでしょう。

 飛び石のアンダーパスを通り抜けると島の南側へ。弧を描く川縁付近には、飛び石通路と同様に潮入池が施工され、満潮時には隅田川河口の海水が入り込み、時には魚が泳いだりします。

 池の中央には石造りの常夜灯があり、その奥に見える鉄骨の相生橋とともに作り出す光景は、鉄橋でありながら、一服の浮世絵のような印象すらうけます。

戦前の公園造りを知ることができる遺産

 そして、中の島のハイライトとも言えるのは、この潮入池付近からの眺望です。正面に豊洲埠頭の高層ビル群、左に東京海洋大学、右に晴海埠頭を望む光景は、インスタ映え間違いなし。

とてもロマンティックな、南エリアからの夜の眺望(画像:黒沢永紀)

 さらに夜ともなれば、正面のビル群に灯がともり、隅田川を航行する屋形船が色を添える様子は、ときめく夜景のパノラマ。また火が灯った常夜灯越しに見るライトアップされた相生橋の光景も、とてもロマンティックです。

 中の島はほんの小さな島ですが、単に水辺というだけでなく、海水が入り込む文字通りの親水公園。戦前の公園造りを知ることができる貴重な遺産ともいえるでしょう。月島駅から徒歩で5分とかからないにもかかわらず、訪れる人が少ない穴場スポット。気持ちいいウォーターフロントを、ぜひ独り占めしてください。

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