フルーツパーラーの「パーラー」って何?パフェーやアイスクリームを出している理由とは

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老舗果物店、銀座千疋屋が1913(大正2)年に開業したフルーツパーラーは、たちまち模倣店を生み出し、各都市に普及していきます。ところでフルーツパーラーの「パーラー」とはどういう意味なのでしょうか? そしてなぜ、果物店がパフェーやアイスクリームを提供するのでしょうか? 『串かつの戦前史』においてフルーツパーラーの由来を明らかにした、食文化史研究家の近代食文化研究会さんが解説します。

目次

銀座千疋屋の元祖フルーツパーラー

 フルーツパーラーの元祖、銀座千疋屋フルーツパーラー。

銀座千疋屋フルーツパーラーの「銀座パフェ」(画像:近代食文化研究会)

 1913(大正2)年に開業したという、日本で最も古いフルーツパーラーです。

1938年頃のメニューにおけるパフェー(提供画像:銀座千疋屋)

 銀座のど真ん中にある銀座千疋屋フルーツパーラーは、創業から100年以上を経た今日も盛況。入店を待ちわびる銀座レディたちが列をなすのは、おなじみの光景です。

 ところでフルーツパーラーの「パーラー」とは、どういう意味なのでしょうか? そしてなぜ、フルーツパーラーはフルーツだけでなく、パフェーやアイスクリームを出すのでしょうか?

開業時のメニューはバナナショートケーキ

 銀座千疋屋二代目主人・齋藤義政の著書『くだもの百科』(婦人画報社1964年刊)によると、フルーツパーラー開業時に提供したメニューは、アメリカのケーキである「バナナショートケーキ」。銀座千疋屋にご提供いただいた1938年頃のメニュー表にも、アメリカ流のショートケーキが描かれています。

1938年頃のメニューにおけるアメリカ流ショートケーキ(提供画像:銀座千疋屋)

 フルーツパーラーの名物といえばパフェーですが、このアイスクリームや生クリームとフルーツをグラスに重ねたパフェーも、アメリカ式のパフェー。

 パフェーとよく似たアメリカのスイーツに、アイスクリームとフルーツを盛ったサンデーがあります。

 銀座千疋屋フルーツパーラーもかつては、サンデーを出していました。

1938年頃のメニューにおけるアイスクリームソーダとサンデー(提供画像:銀座千疋屋)

 サンデーと並んでメニューにあるアイスクリームソーダも、アメリカ由来のドリンクです。

 フルーツパーラーとは、アメリカ式のスイーツやドリンクを提供する店だったのです。

フルーツパーラーのご先祖、アイスクリームパーラー

 銀座千疋屋フルーツパーラーが創業した1913(大正2)年頃のアメリカやカナダには、アイスクリームパーラーという店がありました。

 下の画像は、1916年のカナダにおけるアイスクリームパーラーの広告です。

1916年のアイスクリームパーラー広告(画像:近代食文化研究会)

 フルーツを使ったサンデーや、アイスクリームソーダが定番商品として記載されています。この他に、店によってはサンドウィッチなどの軽食も提供していました。

 「parlor」という英語はアメリカで応接室という意味ですが、「お客さまがくつろげる場所」のイメージで外食店にも用いられました。そしてその名を冠した、フルーツとアメリカンスイーツを提供する店がアイスクリームパーラー。その影響を受けて生まれた店が、日本のフルーツパーラーというわけです。

 銀座千疋屋フルーツパーラーの他にもう一つ、アイスクリームパーラーの名を冠する店が銀座にあります。資生堂パーラーの創業時の正式名は「資生堂アイスクリームパーラー」。開業時にはもちろん、アメリカンスイーツであるアイスクリームソーダやショートケーキが提供されていました。(川上典李子『東京資生堂パーラー銀座』2002年刊)

 資生堂パーラー内のサロン・ド・カフェでは現在も、アイスクリームソーダやショートケーキ、パフェーなどのアメリカンスイーツが提供されています。

アメリカ文化が席巻した戦前の銀座

 “昨日までの銀座は、フランス文化の下にあった。今日では銀座に君臨するものはアメリカである。”

 “今やアメリカだけが世界である。ヨーロッパは完全に田舎になってしまった。大陸はもはや文化的衰老期にはいってしまったのである。今や彼らは何物をも新しく生み出す力はない。”

 “日本人の多くは、今やアメリカを通じてのみ世界を理解しようとしているのだ。”(安藤更生『銀座細見』中公文庫1977年刊)

 “が、やがて、長年のフランス風は、いつのまにか、ヤンキー的なものにとってかわられていった。”(平野威馬雄『銀座の詩情 2』白川書院1976年刊)
 
 明治時代にヨーロッパ文化の影響を強く受けていた銀座ですが、ヨーロッパに変わって頭角を現してきた超大国アメリカの文化の影響が、次第に濃くなっていきました。
 
 その先鞭を付けたのが、資生堂創業者・福原有信がアメリカから導入したソーダファウンテン。 そのソーダファウンテンの後継店が資生堂アイスクリームパーラーです。

 そして資生堂とともに、銀座「アメリカ文化時代」の先陣を切ったのが、銀座千疋屋フルーツパーラーだったのです。

女性の社会進出時代到来を告げた、銀座千疋屋フルーツパーラー

 Andrew P. Haley『Turning the Tables』(Univ of North Carolina2011年刊)によると、19世紀半ばのアメリカではまだ男尊女卑の傾向が強く、男性のエスコートなしで女性が高級レストランに入ることははばかられたそうです。

 そんなアメリカの女性たちを解放したのが、アイスクリームパ-ラー。 Haleyによると、当時の女性たちは男性同伴でなくとも、アイスクリームパ-ラーに入ることができたそうです。

 白木正光編『大東京うまいもの食べある記』(1933年刊)によると、日本においても、男尊女卑の風潮により、女性だけで銀座などの外食店に入ることは難しかったとのこと。

 そんな女性たちが男性抜きで食事を楽しむようになった場所が、大正時代から銀座に増えたデパートの食堂。そして大正時代に開業した銀座千疋屋フルーツパーラーもまた、女性の社会進出時代到来を告げる、女性解放区となったのです。

参考:
Restaurant-ing through history(アメリカのレストラン史研究サイト)
『串かつの戦前史』

銀座千疋屋 銀座本店 フルーツパーラー
住所:東京都中央区銀座5-5-1 2F
TEL:03-3572-0101
営業時間:日~金曜・祝日11時~18時(L.O17時30分)/土曜11時~19時(L.O18時30分)
(ランチ営業:月~金曜11時~13時)
※各日90分制
アクセス:東京メトロ銀座線・日比谷線・丸ノ内線 銀座駅より徒歩約1分
JR・東京メトロ有楽町線 有楽町駅より徒歩約5分

資生堂パーラー 銀座本店サロン・ド・カフェ
住所:東京都中央区銀座8-8-3 東京銀座資生堂ビル3F
TEL:03-5537-6231
営業時間:火~土曜11時~21時 (L.O.20時30分)/日曜・祝日11時~20時 (L.O.19時30分)
定休日:月曜(祝日の場合営業)、年末年始
アクセス:東京メトロ銀座線・日比谷線・丸ノ内線 銀座駅より徒歩約7分
JR・東京メトロ銀座線・都営浅草線 新橋駅より徒歩約5分

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