昨今、インバウンドにも大人気の谷中に、国籍を問わず人々に笑顔をもたらす「指人形笑吉工房」があります。メディアでもよく取り上げられる、人気の同店を訪れて見ました。
縫製職人から「まさかの本職」になった自流の人形作り
谷中の昔ながらの狭い路地を入っていった先に「指人形笑吉工房」がありました。そのショーウィンドウには、笑みを浮かべた表情の可愛らしい指人形たち。
中に入ると外国人が10人近くいて、フランス語が飛び交っていました。谷中散策がインバウンドに人気であることは聞いていましたが、裏路地の先にあるような小さな工房にまでやってくるのは意外でした。
「今は、毎日のように外国人のお客さまが来ますね」
そう話すのは、同工房の主宰者であり人形作家の露木光明(みつあき)さん。かつては婦人服の縫製職人だったそうです。副業でお絵かき教室をやっていたとき、たまたま工作で作った指人形がすっかり気に入ってしまい、「まさかの本職になりました」と言って笑います。
縫製工場を指人形の工房に変えたのは60才のとき。最初はイベントに出店して人形を売り込んでいたのが、テレビで取り上げられたのを機に人気が急上昇。現在も年に10回程度の取材を受けるそうです。
その人気のもとは、老人をモデルにした笑顔の指人形たちがリアルに作られていて、愛らしさと懐かしさを併せ持つこと。また、露木さん自作自演の人形劇も評判です。
それにしてもどこをどう工夫したら、こんな風に誰をも笑顔にする表情が作れるのでしょうか。聞くと、とてもシンプルな答えが返って来ました。
「簡単ですよ。お年寄りを笑顔にしたら、たいていはほっこりするようなものができます。いい味がでるんですよ」
それは一理あるものの、誰もが同じようにリアルで可愛らしく作れるわけではありません。露木さんには師匠がいたわけでもなく、完全な自流。リアルに見せるために、骨格の立体感には最新の注意を払っているそうですが、「あとは、自由に粘土をいじっているうちに、自然といい表情になっていきます」といいます。お絵描き教室を主宰していたくらい、絵を描くことに長けているので、人の特徴を的確に捉える観察力に優れていることも、その一因にあるのでしょう。
自作自演の指人形劇、笑いのツボは「リアルな動き」
指人形の総称は「笑吉」。露木さんがこれらを通じて織りなす世界感には、懐かしい日本の情景が散りばめられていて、それもまた人々を笑顔にします。
コタツで蜜柑を食べながら話に興じる老人たち、歯のない口元に皺の寄るおばあさん、すし桶に入った握り寿司を囲む日本髪姿の女性たち、黒電話で年賀状片手に話をするおじいさんとその横で微笑むおばあさん。指人形用のスタンドには針金が装着されていて、頭と腕の部分に通すことで、顔の向きやポーズを自由に変えることができます。それによって、リアルな情景をさまざまに作りだすことができるのです。
「これらはすべて、自分の子供の頃の記憶に残るシーンを再現していることは間違いないですね」と露木さん。見る者もその世界観を通して、祖父母や子供の頃の情景を思い出し、癒されるのでしょう。外国人にとっては、日本らしい「異国情緒」に触れらる場所といえます。
工房では、水曜から日曜日まで毎日7回の公演時間を設け、観客が3人以上の場合に人形劇を行っています。公演時間は約30分で、演目は11(2019年7月現在)。その軸となるのはすべて「笑い」です。
ほとんどがセリフのないパントマイムのため、外国人も楽しめますが、露木さん曰く、セリフがないことで非常に肝要になってくるのが「リアルな動き」だそうです。
工房に飾っている笑吉たちが表現するストーリーは、酔っ払ったふたりの男性が赤ら顔で温泉卓球をしているところにハチが飛んできた場面、といった風にどれもリアル。その真骨頂が劇となって、絶妙な動きや掛け合いを伴うことで一層パワーアップし、さらなる笑いを誘います。
「シャイな性格なので、人形劇は顔を隠してできるのが僕に合ってるみたいです。でもそれだけに、演目が終わって顔を見せる時が一番恥ずかしいですね」
そう話す露木さんは「ダンディー」という言葉がとても似合うルックスの持ち主。劇が終わって顔を出した時のギャップに驚く人も多いことでしょう。
購入に「5年待ち」の時もあった、似顔人形
笑吉は、日本最大級の人形劇の祭典である「いいだ人形劇フェスタ」に毎年招待され、その際に必ず新しい演目を上演するそうです。「新作を編み出すのが、最も大きな悩みの種です」と苦笑い。しかし、それを心待ちにしている人が大勢いることは間違いないでしょう。
指人形は販売もされていて、1体2万円前後。似顔人形の受注制作も行っていて、こちらは1体4万円です。
高額にもかかわらず、似顔人形の注文は途切れることがなく、時に8か月待ちになることもあるとか。過去には、最長で5年待ちだった時期もあったそうです。工房には歴代首相の似顔人形が並べられていて、どれも吹き出したくなるほど特徴を捉えていて、似ていました。
すべて笑顔を浮かべた工房の指人形のなかで、1体だけ少し怖い顔をしたものがありました。タレントの似顔人形が並んでいるところに置かれていたため、それが誰かと聞くと、「私です」との答え。
ダンディーな露木さんは、普段はこんな風に少し強面な表情でいることが多いのでしょう。しかし、その内側で次なる笑いを常に考えていると思うと、笑吉たちはシャイな露木さんの内面から飛び出してきた笑いの分身のように思えました。だから、どこを切り取っても人を笑顔にできるのだと。
工房には、ここで紹介仕切れないくらいたくさんの「笑いの物語」があります。眺めているだけで、心温かくなる素敵な場所が東京にまだある。そう知って、記者は嬉しくなりました。
【指人形笑吉工房】
東京都台東区谷中3-2-6
10時〜18時
定休日:月曜、火曜
千代田線「千駄木駅」団子坂口より徒歩2分、JR「日暮里駅」西口から徒歩10分
指人形劇:10時30分〜、11時30分〜、12時30分〜、13時30分〜、14時30分〜、15時30分〜、16時30分〜 ※観客3人以上の場合に実施、大人1人500円(小学生以下は無料)