昭和の初めより、墨田区向島の工房でつくられる「文庫革」。白革に型押しされる絵柄の多彩さ、鮮やかかつ味わい深い色味が魅力的な伝統工芸です。伝統工芸の後継者が減少しているともいわれる今、持続可能な組織をつくり、技術を守り続ける、文庫屋「大関」にその舞台裏を聞きました。
柄の数、約100種類。接客と兼務しながらアイデアを練る
墨田区向島の地でつくられる「文庫革」をご存じでしょうか。
文庫革とは、兵庫県姫路生まれの白い牛革に、型押しで模様をつけ、彩色し、「錆(さび)入れ」と呼ばれる工程を踏み、仕上げる、色鮮やかな伝統工芸です。
時に柔らかく、時に鮮烈な彩色は一筆一筆、すべて手塗りによるもの。錆入れとは、漆(うるし)を塗り、真菰(まこも)と呼ばれる、イネ科の多年生植物の胞子の粉をすりこませ、模様に深みや風情を与える工程で、こちらも一枚一枚、丹念な手作業で行われます。
文庫革の元となっているのは、姫路の地場産業「姫革細工」。
その昔、姫革細工の製造術は、次第に西から東へ伝播し、大正時代の関東地方には、革細工の工房が複数点在していたといいます。しかしその工房は、1923(大正12)年に発生した関東大震災によって消滅してしまいます。
文庫屋「大関」の初代 大関卯三郎さんも当時、震災で職場の工房を失いましたが、自らの工房を建造し、独立。それから91年の歳月が流れ、現在、同店を営むのは3代目です。
文庫革の柄の元となる、型の数は約100種類。表に出ていない型を含めると、なんと約300種類にのぼるといいます。長財布、2つ折り財布、小銭入れ、印鑑入れ、スマホケース、名刺入れなど、形状もさまざま。
その多彩なラインナップは、ECサイトのほか、浅草と銀座にある実店舗で見ることができます。
商品は、奥行きのある引き出しに丁寧に整列しています。そのため、1つ1つ手にとって、じっくりと見比べながら選ぶことが可能。その多彩さゆえ、何十種類もの柄を集めるコレクターもいるといいます。
種類に富む文庫革の模様をつくるデザイナーは2人。そのうちの1人、田中萌子さんは、銀座店で、接客業務を行うかたわら、さまざまな柄を生み出しています。
「お客さまの探しているかたちや、今使っているもの、その使い方を見せてもらうなかで、ハッとなり、アイデアに結びついたりするんです」(萌子さん)
人気の「飴」柄、細部に宿るこだわりの数々
萌子さんにとって、デザインを考えるうえで、お客さんと直に触れ合うことは欠かせないといいます。
そんな萌子さんが、文庫革のデザインを初めて試みたのは、入社する前。転職活動中にさかのぼります。その柄は、千歳飴やフルーツドロップ、みかん飴など、鮮やかで懐かしい形状をした飴が一面に描かれた、かわいらしい「飴」柄。面接の際、披露したのだといいます。
飴柄は現在、同店で高い人気を誇ります。ですが、初披露した日から商品化までには、なんと約7年の歳月を要しました。
「文庫革の柄は、革に凹凸をつけることによってつくられます。そのため、通常の線画と異なり、型でどこをどのように凹ませるか、錆をいれる部分はどこにするのかなど、適切な表現方法を考えながら、図版をつくる必要があります」(萌子さん)
7年間、ほかの業務やデザインを並行しながらも、飴の柄が、納得するかたちに帰着するまで、何度も試作を行い、試行錯誤を重ねました。
たとえば、飴を描写する線は、故意に、ランダムにはみ出させているとのこと。はみ出すか、はみ出さないか。その差が、柄の印象を大きく左右することに気づいたのだといいます。
また、ひときわ深い青で描かれる「金平糖」も、青に彩色したことによって、見栄えが大きく変化。金平糖のそばに描かれた、コロッと転がっている様子を表す2本の線も、あるかないかで、印象が全く変わったと話します。
「けして安い商品ではありませんし、お客さんも勇気を出して買ってくれるものですから、丁寧にやらなくてはという思いがあります」(萌子さん)
伝統工芸を50年、100年と存続するための仕組みづくりとは
一方、もう1人のデザイナーであり、代表取締役の田中威さんは、過去の売り上げを検証しながら、論理的に柄を考案しています。
全体の2割の製品が、全体の8割の売上を占めるという「2:8の法則(パレートの法則)」。その法則に基づき、「8割の売上を生み出すヒット柄」を考え、収入の主軸を固める一方、ヒットせずとも、少人数に愛される柄を幅広くラインナップしていると話します。
柄が完成するまでの時間は、柄によって大きく異なり、すんなりと商品化されるものもあれば、10年くらい温めている柄もあるといいます。
「常に、ひとつの柄に固執せず、10柄くらいを並行して進めています。寝かせておくことで、ある時ふと、進めることができるようになったりするので」(威さん)
デザイン業務以外にも、代表取締役として、多岐に渡る業務を精力的に行っている威さんですが、若い頃は、自分が現職に就くとは思っていなかったのだとも話します。
フリーのデザイナーとして20代で独立、家業とは異なるところで身を立てていた威さんへ転機が訪れたのは、約25年前。当時2代目が営んでいた「大関商店」(当時の屋号)、そしてもう1つの家業であった、ライセンスブランドの財布をつくる会社「田中商店」、2つの家業が危機的状況に陥ったのです。結果、田中さんが2社の家業を継ぎ、その再起をはかることに。
そして現在、50年、100年と存続していくため、職人を養成しつづけ、恒久的に人材を確保し、クオリティも担保していく仕組みづくりをしています。
同社では今、彩色を行う職人18人、型押し作業を行う職人6人、販売担当などの計43人と、同社で社員として勤務したのち、独立したフリーランスの彩色職人11人が働いています。1人が全部の工程を行うのではなく、分業する方法を選択したのは、同業間での競争を生まないためでもあるとのこと。
また、材料集めから販売まで、自分たちで行える力を持つことも強みであるといいます。
「問屋を介さずに、ほぼ直販で商品を販売しているため、やればやっただけの利益が生まれます。自分たちでつくり、自分たちで売る。そうすることで、流通のリーダーシップをとることができる」(威さん)
その強みは、アフターフォローの手厚さも生み出しています。文庫屋「大関」の商品は、購入後、半永久的に修理を受け付けているのです。
「自分たちでつくったものなので、何がどうなっているのかを理解しているため、できることです。仮に、修復が難しい場合でも、なぜ修理が難しいのか、細かに説明をすることが可能です」(威さん)
そんな開拓の精神は、かつて、2000年にインターネット販売をスタートさせた頃にも発揮されました。当時はまだECサイトは珍しく、ページ構築は手探りだったといいます。
本を片手に、HTMLタグの書き方を習得。どうやったらアクセスを集められるか、当時、ECサイトを運営していた仲間との意見交換や交流もさかんに行ったと話します。
その精神が実を結び、現在では、都内の一等地に2店舗の直営店を持つまでに成長した文庫革「大関」。ぜひ一度、その多彩な世界を覗いてみることをおすすめします。
【文庫屋「大関」 銀座店】
東京都中央区銀座1-8-7 1階
東京メトロ有楽町線「銀座一丁目駅」9番出口からから徒歩約2分、銀座線「銀座駅」A12、13出口から徒歩約5分
11時~19時
定休日なし
【文庫屋「大関」 浅草店】
東京都台東区浅草2-2-6 1階
東京メトロ銀座線「浅草駅」3番出口から徒歩約6分、都営浅草線「浅草駅」から徒歩約7分
10時~18時、水曜日定休
※年末年始は、12月29日から1月2日まで休業
※営業時間は変更になる場合あり