近未来的なデザインで知られる、銀座8丁目の集合住宅「中銀カプセルタワービル」。そんな同ビルについて、都市探検家・軍艦島伝道師の黒沢永紀さんが解説します。
その原点はEXPO70にあり
JR新橋駅から東へ徒歩で約8分。高速道路のすぐ横に、まるで近未来からタイムスリップしてきたかのようなビルが建っています。
銀座の不動産会社「中銀(なかぎん)」が、1972(昭和47)年に建設した分譲マンション「中銀カプセルタワービル」(中央区銀座8)。今回は、銀座の外れに残る宇宙船のような集合住宅の話です。
中銀カプセルタワービル(正式名称・中銀カプセルマンシオン。以降、中銀カプセルタワー)をお話しするには、まず1970(昭和45)年の日本万国博覧会、通称EXPO70を外せません。
大阪府吹田市の広大な敷地で開催されたEXPO70は、来場者数約6500万人というとんでもない数字を記録したメガイベントでした。それは、日本の歴史上最大の盛り上がりを見せた、国家ぐるみでのイベントだったと思います。
そしてEXPO70の最大の特徴は、建設された数々の奇妙なパビリオンでした。その姿は、誰もが一目で近未来を連想するものばかり。EXPO70は、世界が夢想した明るい未来を形にした、最初で最後のイベントだったのかもしれません。
数多くの魅惑的なパビリオンの中から、この場で取り上げるべき建物は「タカラ・ビューティリオン」。大阪に本社がある、理美容の椅子などを扱う美の総合メーカー、タカラベルモントが単独で出展したパビリオンは、今でも伝説として語り継がれます。
タカラ・ビューティリオンは、鋼管で組み上げられた巨大ジャングルジムのような骨組みの中に、アルミ製の六面体カプセルを埋め込んだ、それまで全く見たこともないような建築でした。
鋼管とカプセルはすべて工場で生産され、現地での設営はたった7日間というスピード。しかも、カプセルをはめ込む位置を自由に変えられ、さらに増減も可能という、画期的な建築物です。
この建物を設計したのが、新国立美術館などで知られる日本建築界の重鎮・黒川紀章氏。生命が新陳代謝によって更新・成長していくように、古くなったら新しいパーツと交換しながら新陳代謝を繰り返す建物を提唱しました。
その発想から「メタボリズム(= 新陳代謝)」と名付けられた建築運動は、建物に限らず都市計画まで含む壮大なもので、日本発の建築思想として海外にも多大な衝撃を与えました。明治維新以来、西洋建築の吸収とアレンジに終始してきた日本の建築が、初めて世界から認められたオリジナルの思想だったといえます。
SF映画のような中銀カプセルタワー
タカラ・ビューティリオンを見た当時の中銀社長・渡辺酉蔵氏が、将来を見通しつつ黒川氏に依頼して建設されたのが中銀カプセルタワーです。
中央にコアとなる鉄筋コンクリート製の支柱を立て、その中心にエレベーター、周囲に螺旋階段を配して芯を作り、その芯に対して、立方体のユニットをくっつけていくような構造のマンションです。
ふたつの支柱に固定されたユニットは全部で140個。その姿は、あたかもキューブ型の宇宙船が整然と停泊するSF映画のワンシーンの様にも見えるものでしたが、海外からはその形状から、ドラム式洗濯機ルームとも呼ばれました。
各ユニットは10平方メートル程度。現代のワンルームマンションはおろか、廉価なビジネスホテルの部屋よりもさらに狭い造りは、個人のオフィスやホテル代わりの宿泊施設、郊外居住者のビジネスルームを目的としていたことによります。
発売当時のパンフレットにも「24時間都心のビジネスカプセル」と謳い、「マンシオン機能、ホテル機能、ビジネス機能の3つを兼ね備える」ことをウリにしていました。
管理会社によるセキュリティやメンテナンス会社による保全はもちろん、「カプセルレディ」が常駐して、ゼロックス(コピー)やタイプライティング(現在のワード制作といったところでしょうか)、さらには電話応対まで完備していたというから驚きです。
最大の特徴は、ユニットが老朽化したら、新しいものとそっくり交換できるということでしょう。メタボリズムの建築物はいくつか現存しますが、中銀カプセルタワーほどメタボリズムを象徴するものは他にありません。
建設から約50年。結局ユニットが交換されることは一度もありませんでした。戸建の家を建て替えるよりはるかに安いとはいえ、ユニット1つの価格はそこそこするもの。高度経済成長期ならではの発想だったと言えるでしょう。
宇宙船のようなユニット
それでは中銀カプセルタワーのユニットをちょっと見てみましょう。分譲だったせいで、多くのユニットには大幅な改装がほどこされていますが、中にはほぼ創建当時の姿で遺っているものもあります。
鉄製の玄関扉を開けると短い廊下があり、その奥が居室スペース。天井も壁も真っ白に塗装され、壁面に組み込まれたユニット家具は木製で、床は絨毯敷き。玄関の隣がユニットバスで、その造りはさながら廉価なビジネスホテルのような印象です。
そして部屋の突き当たりに巨大な丸窓が一つあり、部屋の採光はこの窓のみ。この窓こそ、建物を外から見たときに、まるで宇宙ステーションに停泊するポッドの様な印象を与える窓でした。
ビジネスホテルの分譲版
特筆すべきは、テレビやオーディオが、オプションで最初から組み込めることでしょう。14型のブラウン管テレビやテープレコーダー、そしてチューナー付きアンプは壁面に埋め込まれてスッキリした仕上がり。オープンリールのテープ・レコーダーが時代を感じさせてくれます。
ユニットバスは、廉価なビジネスホテルのそれよりさらに狭く、浴槽も体をかなり曲げないと入れません。それでも日本発のユニットバスがマンションに組み込まれた例としては、初期の試みといえるのではないでしょうか。
なお、キッチンやランドリースペースがないのは、食事は外食、洗濯はビルのサービスを受けられるため。まさに、ビジネスホテルの分譲版といったところです。
保存か改築か
竣工から30年以上が経過した2006(平成18)年、老朽化による危険性から解体・再建案が浮上し、翌年の総会で区分所有者の8割の合意を得て可決されました。しかし、建設を請け負うはずだったゼネコンが倒産して頓挫し、2年後に決議も無効に。
その後、2014年に、前田達之氏を代表とする「中銀カプセルタワービル保存・再生プロジェクト」が、クラウドファンディングによる書籍出版の寄付を募ったところ、目標額をはるかに上回る募金があり、その影響もあいまって、現在は保存の方向に大きく傾いています。「ミニマリズムやタイニーハウスが注目される時流に乗った」ことが、中銀カプセルタワーの再注目と保存活動の後押しをしてくれたと、前田氏は語ります。
特に海外からの注目度が高く、世界遺産の審問機関であるイコモスの査察も入っているとのこと。ご多分に洩れず、国内より海外の方が近代建築への造詣が深いのはここでも変わりません。
そして2018年、中銀が借地権と一部の所有権を不動産会社へ売却。不動産会社は、早急に解体再建を計画するも、すべてのユニットが区分所有のために保存派の意見を無視できず、2019年の現在も、解体か保存かの結論にはいたっていません。
「区分所有だったため、大規模な修繕やカプセル交換もなかったが、解体もされずに今日まで残ったのでしょう」と前田氏。確かに中銀のオーナービルだったら、とっくに解体されていたに違いないでしょう。
クラウドファンディングへのリターンとして内覧会を開始したところ、思いのほか反響があり、参加者の中にはその魅力に取り憑かれて、実際にマンスリーで住んだり、購入する方もいるとか。これらの体験談は、ウェブ上でも散見します。
2019年秋の現在、中銀カプセルタワーの価値を十分に理解する、建造物の保存などを手掛ける外資系の企業が1棟まるごと購入し、すべてのカプセルを交換する計画が進んでいるとのこと。もしそうなれば、かつて黒川氏が思い描いたメタボリズムが時を超えて実現することになります。
保存再生プロジェクトでは、より多くの人に中銀カプセルタワーの魅力を知ってもらうべく、現在も不定期で内覧会を開催中。開催日は、「中銀カプセルタワービル保存・再生プロジェクト」のウェブサイトに掲載されています。ゆくゆくはユニットを独立させ、トレーラーで牽引しながら日本全国を巡って、カプセルルームを体感してもらえたら。と将来の抱負も語ってくれました。
世界に認められた日本発の建築運動「メタボリズム」。その思想をもっとも象徴的に現出した中銀カプセルタワーは、“新陳代謝”の時を待ちながら、銀座の片隅に燦然と聳えています。ご興味のある方は、内覧を含めて一度ご覧になってはいかがでしょうか。